時松 辰夫(ときまつ たつを)さん

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COREZO(コレゾ)

「ゴミで捨てるか資源に替えるかは、活用する技と知恵次第、社会に責任を持ち、商品価値を創り出す、木工芸クラフト作家」賞


アトリエとき・デザイン研究所 主宰 木工芸デザイナー クラフト作家

時松 辰夫(ときまつ たつを)さん


アトリエとき・デザイン研究所 主宰

http://ateliertoki.michikusa.jp

木工芸デザイナー クラフト作家


ジャンル

木工芸

クラフト

地域振興



受賞者のご紹介

 

 時松 辰夫(ときまつ たつを)さんは、大分県由布市在住の木工デザイナー、クラフト作家で、「アトリエとき・デザイン研究所」を主宰しておられる。

 

 1937年、大分県生まれ。大分県日田工芸指導所(現・大分県日田産業工芸試験所)を経て、仙台に拠点を移し、東北の農山村の副業(裏作工芸)研究に着手。東北工業大学工業意匠学科第三生産技術研究室の一員として、全国各地の産品開発手法の実践的研究・指導と地域振興に取り組む。岩手県大野村、北海道置戸町などに、地場産業として木工芸を導入し、現在も技術アドバイザーとして巡回指導を続けておられる。

 

 1991年、「アトリエとき・デザイン研究所」を湯布院町に開設。著書に『山村クラフトのすすめ』がある。

 

 2004年、観光振興の事業を請負って、その時に、時松さんと「アトリエとき・デザイン研究所」を取材させて頂いたことがあったが、今回、愛媛大学講師の米田誠司さんのご紹介で、改めて、由布院に訪れ、お話を伺った。

 

 「アトリエとき・デザイン研究所」の建物は、由布院らしい、気持ちのいい、爽やかな雑木林の中にある。

 

「この緑は、全て私が苗木から手植えして、日々の暮らしから出てくる生ゴミなどを肥料に、育ててきました。自然と共存して生活をする知恵を持てば、たった十年やそこらで、誰でもこうやって小さな森を作れるんですよ」

 

「ここでは、地域の木を使って食器などの器をつくっています。器というのは、これ一つでは何も完結しません。食器は、お料理や食べ物が中に入らないと意味がありません。盛りつけた食べ物を美しく引き立てて、食べ易くするのがその役割で、おいしく、楽しく召し上がって下さった人が主人公ですから、私らはその案内役なんですね。ただ、私は、木工しかやってないので、木の食器はこんなにきれいなんだよと、木の美しさを食器に託して、皆さんに翻訳するのも仕事です。いつも、生活の現場で私たちが作ったものが役立って、楽しんで頂くことを願いながら、作っています。」

 

「食べ物を入れますから、まず、第一に安全でないといけません。安全面では、今の日本食品衛生協会の食品衛生法に適合した塗料だけを使っています。この塗料は、表面に塗膜を作るだけの塗料とは異なり、ポリマーが木の組織にしみ込んで木の水分と反応して固まり、狂いや傷、汚れを防ぎます。木製文化財の補修と保存のために開発され、その安全性から、学校給食用の木製食器などにも使われています。次に、丈夫であることに関しては、この塗料を何回か塗りかさねると、物理的には、漆と同等か、それ以上に丈夫になります。」

 

「あとは、それぞれの目的によって使い易く、美しいカタチでないと商品価値が生まれません。さらに、できれば、地元の素材を使って、地域の特色を出したローカル性もあって欲しいですが、ただ単に、ローカル性だけでは、お金にならないので、東京でもロンドンでも売れるように、グローバル性もあるデザインを心掛けています。」

 

「子供用の食器は、大人用の食器まで、6段階の大きさがあります。学校給食器で使って頂く場合は、文科省の指導により、85℃〜90℃で30〜50分程度、熱風消毒しなければいけないので、それに適うように、これまでの木製食器に比べると、かなり丈夫につくっています。」

 

「これはね、木の幹の中をくり抜き、外側の樹皮を削って、磨いた器です。その木によって、樹皮にいろんな模様が浮かび出てきます。富士山に似ているとか、故郷の山々に似ているとかおっしゃって、購入して下さいます。こういうふうに、カタチや模様、色が違うというのは、神様が創って下さったもので、私たちの仕事は、それを器にして、木の美しさを見せているんですね。」

 

「これは、木の葉皿というんですけど、細い木を貼り合わせて作ります。間伐材もそのままだと売り物にならないのだけれど、3cm角に切り出すと、一面だけには真っすぐの柾目の部分が出てきます。そのいい面をそろえて上向きに並べ直すと、銘木をつかったようになって、使い道のなかったものが使えるようになります。木片もね、人間と一緒で、必ずいい面があります。」

 

「こっちは、日本の伝統的な工芸技法である矢羽(やばね)模様と云って、15mm角ぐらいの棒があれば、矢羽模様に組んで板にし、組み立てて接着した後、磨いて作ります。木は、なるべく最後まで有効に使いましょう、ということです。このペンスタンドは、工房の木工芸体験で製作することもできます。」

 

「それから、こんなお箸は、梅の木の枝だったり、いろんな木の枝です、木というものは、これだけの長さがあれば、お金になるからとてもいい資源です。もっと小さいものでも、箸置きや爪楊枝になりますね。果樹園の木々を選定して落ちた枝は、ゴミになるのですが、それを捨てないで、再利用する取組みをしています。」

 

−− この世界に入られたきっかけは?

 

「今、78歳で、中学を卒業した15の時からですから、もう、この道、60年以上になります。職業訓練校で1年間、木工を習った後、当時、よく売れていた高さ6尺(約182cm)や5尺6寸(約170cm)の嫁入りダンスを作りたくて、家具の一大生産地である福岡県の大川市に4年間修行に行き、作れるようになったのですが、マンションの時代になって、家具が小型化していって、そういうタンスの需要も先細りになりました。それなら、一番小さなところからやり直そうと、手のひらに入るお椀がいいな、と思って、大分県日田工芸指導所(現・大分県日田産業工芸試験所)に研究生で入って、お椀の木地の作り方を習ったのが、この世界に入るきっかけですね。」

 

「家具もやっていて良かったなと思うのは、いろんな道具を使えることです。テーブルなんかも家具屋にいたから作れるんですね。」

 

「日田の工芸指導所には、24年いて、その後、昭和55(1980)年に東北の仙台に行って、13年程、住みました。それは、ひとつには、当時、東北工業大学におられた有名な工業デザイナーの秋岡芳夫さんという先生と親しかったので、その先生が提案された岩手県大野村の『一人一芸の裏作工芸』という事業を手伝って欲しい、と頼まれたのもあったのですが、本当は、東北の手仕事を知りたくて、手伝えば、東北の工芸が学べるだろうと思って行きました。実際、いろんな人と知り合って、今でも交流が続いています。」

 

「岩手県大野村は、青森県との県境にあり、農業は冷害に苦しみ、森林資源と酪農以外に特に産業もなく、出稼ぎに頼るような寒村でした。いわゆる、工芸品の伝統産地ではなかったのですが、木工に使える森林資源が豊富で、出稼ぎ者の中には、木材の特徴と扱いになれた棟梁や大工も多くいて、さらに、雪に埋もれる長い冬も、見方を変えれば、時間と労働力に恵まれた最も豊かな資源とも考えられました。それで、秋岡さんは、生活に役立つ木工芸品の生産を提案したのです。」

 

「かつての『一村一品』運動は、村の中にある、ひとつの主要産品に特化するので、大きな設備投資も必要になり、それに依存してしまうと、市場の変化や災害時のリスクに弱いのですが、『一人一芸の村』であれば、工芸品は家で家内工業的にできるので、出稼ぎに行かなくて済み、大きな投資は不要ですし、一人一芸で、多様な工芸品をつくることにより、リスクを分散することもできます。」

 

「また、『裏作工芸』とは、工芸をすぐに専業とせず、それだけを生計の手段としない副業として捉えるといことです。元々、工芸は、農家の自家用として日常生活で実際に使われるモノを自作したのが始まりです。専業になると、所得の向上を目指すことになり、流通業者の意向に支配されたり、大量生産品や低価格の輸入品との価格競争に巻き込まれて、作り手の『ものを創る喜び』から作り出される価値が、失われてしまいがちになります。」

 

「副業であれば、全国流通は必須ではなく、地場流通に重点を置いて考えればよいし、珍しいものではなく, 誰もが使う日常生活用品を作り、大量生産品が溢れる今の時代には、使い捨てではなく、長く使えるもの、作り手の暮らしが伝わるような生産物の方が、より新鮮に映ります。また、労働生産性を上げることよりも、むしろ、できるだけ手間を加え、使い手の要求にきめ細かく応えることで、価値を高める方向を追求しました。」

 

「それまでの林業研究会等が主導した林産工芸品は、お金になっていませんでしたから、補助金や助成金が打ち切られた時点で、事業も途絶えていました。その最大の原因は、使う社会に届けるという意識が低いということです。使う社会に届けるということは売り物にすること。売り物にするということは、社会に責任をもつこと。社会に責任を持てば、お金が自分のところに回ってきます。やがては本業にできる日を夢見て、それを副業でゆっくりとやりましょうということなんです。」

 

「しかし、使う社会に期待されるもの、売れるものにするには、デザインが要ります。商品の価値、すなわち、売れるかどうかは、デザインの善し悪しで決まります。単に新奇なデザインでは、売れません。お椀の場合、持ちやすく、唇に馴染み、保温性が高くても、手に持っても熱くなく、丈夫で、洗いやすく、水切れもよく、重ねた時に納まりがよいのが、よいデザインです。 それらを満たしたお椀は、例外なく、美しく、確実に売れます。それが、デザインの基本です。」

 

「そんなデザインをわかるには、食べ物と器の関係を学ぶのが一番ですから、村とか行政の仕事は、よいデザインと料理ができる人を連れて来て、できるだけ多くの人が学べるように、できるだけ多くの人を巻き込むことです。そうして、食べ物と器の関係をよく理解した上で、実践してもらうというのが、工芸的村づくりの手法です。」

 

「私は、1980年から2年間、大野村に常駐して、集中的に指導をしました。隣の浄法寺(じょうほうじ)町は日本一の漆の産地ですが、漆はかぶれるので、誰もが扱えません。そこで、今、私のところでも使っている食器専用の塗料を使いました。大野村の木工が定着し、安定する上で、もっとも大きなきっかけになったのは、その製品が、学校給食器に採用されたことです。それで、村民全体の意識が一気に高まりました。その後も、大野村には、仙台に居を移して11年間、月に10日程、ここ由布院に移ってからも18年間、毎月欠かさず、木工芸技術修練のお手伝いに通いました。」

 

「あれから30年以上、大野村に関わっていることになりますが、今では、30人が育ち、木工芸で生計を立てています。工芸品が地場産業化して、工芸的な発想で、林業、農業、畜産業にも80名の雇用が生まれました。過疎農村再生の新たな可能性を示せたのではないかと思います。その後、北海道置戸(おけと)町、帯広市、宮城県津山町、鶯沢町、島根県匹見町、山形県上山市、真室川町などからも、声を掛けてもらい、いろいろな市町村で指導をしています。」

 

−− これまでに何人ぐらい指導されたのですか?

 

「この工房に研修に来た人も沢山いるので、木工芸として指導したのは400人ぐらいでしょうか、その内の1/3の120人ぐらいは木工芸で生計を立てています。今は、当時の山形県副知事からの依頼で、『やまがた元気な風展』にも、毎年、関わっています。そのイベントは、地域の素材を活用した手仕事によるものづくりやそれらを介した人々の交流により、地域の元気づくりにつなげようと開催しています。いろんな方々との出会いは大切ですが、自分で生産技術を持って出会うのと、ただ話を聞きに来て出会うのでは、全く違いますから、目的意識をきちんと持って、イベントに参加して頂き、地域づくりにつなげて欲しいですね。」

 

−− 由布院に来られたのは?

 

「1991年です。私が由布院に来て、ご近所の玉の湯さんともお付き合いをさせてもらうようになり、座敷テーブルを見に来て欲しいと云われたので、行ってみると、立派なテーブルなんですが、重くて、掃除する人が持てないから、毎日、押したり引いたりして、動かすんですね、だから、畳が痛むし、テーブルも痛む。」

 

「木で一番軽い桐で作れば、女性一人でも持てるけど、柔らかいので、キズが付き易い。だから、桐で営業用のテーブルを作ろうとは誰も思わないけど、私が由布院にいて、工房も開いているんですから、キズが付いたら修理もできます。どうせ傷むのだからと安いのを買って、3〜4年ぐらいで買い替える旅館が多いと聞きますが、ここは由布院ですし、安心して長く使えるものを作りましょう、と提案しました。」

 

「その修理維持費はどれくらい掛かる?と聞かれたので、1日の使用料を100円でみて下さいと言うと、そんな安くていいの?っておっしゃって頂いたのですが、1日100円ということは、1年で36500円でしょ?そうなると皆さん高く感じるんですよね。」

 

「それで、作らせてもらって、1年後には、それは、それは傷だらけになって、工房に帰ってきましたよ。それを丁寧に直して、塗装も塗り直して、新品同様にして、お返ししました。そうして修理している内に、従業員の人たちもだんだん丁寧に扱うようになって、2年に1回になり、3年に1回になり、今では、4年に1回ぐらいのペースに落ち着きました。そうなると、1日の使用料は、25円になった訳です。」

 

玉の湯の溝口薫平さんは、使用料が安くなったことよりも、『自分がやりたかった社員教育ができた』と、喜んで下さいました。桐のテーブルを使うようになってから、キズが付き易いということがわかると、従業員の皆さんも丁寧に扱うようになった上に、他のものも大切に扱うようになって、そういう従業員の優しい気配りの心が、お客様へのおもてなしや玉の湯の宿全体の雰囲気にも反映されるようになったそうで、それを聞いて、私もとても嬉しかったですね。」

 

「その桐のテーブルはもう20年以上使ってもらっていて、お盆前、お正月前の時期になると、何台かずつ、修理に帰ってきます。キズが付いているところはお湯で温めて、膨らましてから削り、平らにしから、新品同様に塗り直してお返しています。天板を削るのは、1回、0.5mm程度ですから、20年で2mmぐらいしか減っていません。」

 

「日本の職人が、きちんとした仕事をして、食べて行くには、それなりの金額になりますが、修理が可能で、定期的にメンテナンスをして頂ければ、長いこと安心して使って頂けます。合板だと修理が利かないから、何度も買い替えることになってしまうでしょう。買い替えるのと修理するのを経費面で考えると金額はあまり変わらないような気がしますが、溝口さんがおっしゃったように、天然木だから、人が優しくなるとか、そういう物語が生まれることもあります。使い捨ての合板では、そんな物語は生まれないでしょうね。」

 

「そういう経緯もあって、玉の湯さんと亀の井別荘さんの全部屋のテーブルは桐で作らせてもらいました。玉の湯さんのテーブルは普通の高さで、亀の井は精進料理を出すからということで、低めにお作りしましたが、最近は、外国からのお客様が増えて、膝が入らないということで、全部7cm高くしまして、結局、玉の湯さんのテーブルと同じ高さになりましたが、色合いの違いで両旅館のおもてなしの違いがさりげなく伝わるようにしました。」

 

「今、亀の井別荘さんの最後のテーブルを工房に預かって、足を継いで修理していますので、工房も覗いて下さい。」

 

 ということで、工房をご案内頂いた。

 

「由布院は観光地だから、騒音条例っていうのがあって、静かな自然を楽しんで頂くためには、丸鋸の音とか工場の生産音を出してはいけないことになっています。ウチの工房も、音が出ないように、二重窓にしています。ご覧のように、テーブルの脚を継いでいますが、後で、全部塗装を剥がして、新品同様に塗り直すと継いだ部分は全くわからなくなります。」

 

−− 家具屋さんでも桐でテーブルを作ろうという発想はないでしょうね?

 

「そうでしょうね、普通、キズが付かないように、堅木で作りますからね。この桐のテーブルは、3cmの板を中張りして天板を作りましたが、まだ、これだけの厚みが残っていますから、あと、10年、計30年は使えると思います。ま、それだけ使ってもらえば、営業用の家具としても値打ちがあると思います。」

 

「これがさっきの葉っぱのカタチをしたお皿になるんですね。これって、なんでもないように見えて、意外に食品衛生法に合格した接着する糊がなくって、今まで、なかったのが不思議なぐらいで、何で接着していたのか、気になりますよね?このお皿を商品化するのに、昨年、ようやく、接着剤を塗料メーカーと共同で開発して、食品衛生法にも合格したので、この皿をつくれるようになりました。」

 

「これなんか、ちっちゃな木片ですが、並べ直して、一番いいところを上に揃えるとこんなにきれいになるので、樹齢30年ぐらいの木が200年の銘木を使ったのと同じくらい美しい皿になります。」

 

「これからも、私が身に付けた技術や知恵が、人さまのお役に立つなら、もっと、広めていきたいと思っています。農山村で農業をしている人などが、副業に裏作工芸で木工芸品を作ることが出来れば、多くの人たちの暮らしが、豊かになりますし、自然の木を丁寧に使うことで環境保全にもつながりますからね。」

 

  COREZO(コレゾ)財団・賞の趣旨をご説明して、受賞のお願いをしたところ、「私には、まだ早い。」とおっしゃるので、「申し訳ありません、遅過ぎました。」とお詫びした。

 

 自然の恵みである木は、捨てるところが無いと、どんな小さな木の欠片でも、その木に合った方法で新たな命を吹き込み、箸や箸置きとして商品価値を生み出し、さらに、食品衛生法に適合した接着剤まで開発して、間伐材や端材でも、銘木のような美しい寄せ木にして、食器に変えてしまわれる。

 

 使い捨ての時代に、キズが付いて痛んでも、商品代金の1/3程度で、修理が利いて、塗り直してもらえるそうで、手入れをすることで、さらに長く使えるということだ。

 

 木を愛し、地域を愛する時松さんの作っておられる商品の値段は、巷に氾濫している大量生産品と比べると、決して安くはないが、どれもシンプルで、安全性へ配慮があり、丈夫で、実用的、用の美、使う楽しさを追求した究極のカタチである。日本の職人が、きちんとした仕事をし、食べていける対価としては、とてもリーズナブルであるといえる。

 

 大野村の「一人一芸の裏作工芸」という事業を調べるうちに、時松さんから伺った、秋岡さんという方に関心を持ち、既に絶版になっている著書を何冊か中古で入手して、拝読した。時松さんのおっしゃっていることに関連していることも多く、非常に興味深い、目からウロコの話ばかりだったので、一部、ご紹介する。


 秋岡芳夫さん(1920−1997)は、工業デザイナーでありながら大量生産・消費社会に疑問を投げ掛けて、「暮らしのデザイン」という自論を実践し、手仕事、手工芸品の存続、育成に尽力され、手仕事、生活技術、生活道具の楽しさ、おもしろさを伝えて来られ、長年、蒐集された膨大な道具類や資料は、没後、「秋岡コレクション」として北海道置戸町の森林工芸館という施設に展示されているそうだ。また、私たちが子供時代に心をときめかせた学習雑誌「科学」の付録を企画・設計しておられたのだ。


 塗りのお椀は1日の使用料は1円が目安で、1000円のお椀は毎日使っても3年持ち、1万円のお椀は必要に応じて修理をすれば、30年どころか50年以上持つから、同じ使うなら、いいお椀の方が毎朝の味噌汁もおいしく頂けるし、人生も楽しくなる。いいモノ、ホンモノ、気に入ったモノだけ、大事に愛用しよう。いいモノは、いい人を創り、いい人は、いい社会を創る、と説いておられる。

 

 さらに、我々は、もう本当の割り箸を忘れてしまった。ニセの割箸を惰性で平気で使っている。木は、ただ木のようでありさえすればいい日本人に成り下がってしまった。木目を印刷した道具で暮らす下司な人間になってしまった。木を畏れたり、木を崇めたり、木を愛することもできない人間になり、木を活かす技術すら忘れてしまった。その辺のことは、1本の割箸を静かに見直すことで自ずと明らかである。

 

 今の割箸は江戸の鰻屋が発明したという説があるが、江戸時代、料亭で使った割り箸は、「箸処」に戻して、丸箸に削り「直して」もう一度使い、さらに「回収」して、漆を塗って、一膳飯屋等で半永久的に使用したそうで、重箱やお椀の塗物も「塗師(ぬし)」がいて、「繕う」ことで永く使えた。

 

 今では、女性は、「衣」、「食」を「縫う」、「漬ける」から「作らないで買って」消費し、男性は、「住」を建て売りで買い、何も「創らない」ライフスタイルにシフトして、家庭では、「研ぐ」、「縫う」、「料理する」、「漬ける」、「醗酵させる」等の生活技術が無用なものばかりになり、農家でも、「竹を編む」、「縄をなう」、「漬ける」、「醗酵させる」等の生活技術を失っている。

 

 昔の大工さんは、鋸は身だけ、鉋は穂だけ、玄能は頭だけを鍛冶屋で「誂え」、柄は自分の手に合うよう、使いやすいよう自作し、「仕立て」て使うのが、職人の技術だったそうだ。いい生活道具と悪い生活道具を見分けたり、上手に「見立てる」のも生活技術である。

 昔も今も、これからの町(生活共同体)でも、「誂え」も「仕立て」も「見立て」も「回収」も「直し」も「繕い」も、「生産者」には無縁のことだが、全て「生活者」に関わる必要なことばかりで、使い捨て、住み捨てがいけないという前に、生活者自身が生活技術を身につけ直す必要がある。

 

 道具や食物を創れるか創れないかが、人類と類人猿の違いであり、道具は使うし、食物は食べるが、どちらも創れない生活技術ゼロの人類、「類人猿」そっくりな「類猿人」が増え続けている。

 

 現代社会では工業化が進み、ほとんどの生産は生産者側の論理で行なわれている生産者主権の世の中では、生活者は消費者に成り下がり(類猿人だから仕方がない)、大量生産された既製品の消費を担当させられている。「誂え」は、消費者の生産参加だが、工業製品の「誂え」は利かず、「誂え」拒否は、工業化社会の消費者生産疎外の一つである。幸い、「大工」の技術はまだ町に残っているので、住宅の「誂え」は、「大工に頼む」手がある。脱類猿人を目指す生活者は、生活技術を残し、身につけ直す手立てを考え、行動し、「消費者」ではなく「愛用者」となることが重要だ、とおっしゃっている。

 

 地方の時代のふるさとの見直しに関しては、「見せる」観光ではなく、日持ちのしない「旬のもの」や「生もの」が食べられて、「誂え」と「繕い」の利く、町づくりを目標とするよう提言しておられる。当時、余暇時間を都会では、ホビークラフトで「消費」する人が増えていることに注目し、農山村では、「クラフト生産」に活用しようというのが、大野村の「一人一芸の村」計画の始まりだったそうだ。それも、観光客相手ではなく、地元の人に使ってもらえるものを作って、生活技術を売り物にし、その地域で「住む」、「暮らす」価値、楽しさを創り出そうということだという。何だか、小布施の「町並み修景事業」のコンセプトとの共通性を感じた。

 

 秋岡さんが現代の社会にこのような警鐘を鳴らされたのが1970〜80年代のことである。これまでCOREZO(コレゾ)賞の取材等を通じて、様々な職人さんから伺った話のエッセンスが詰っていた。そのものごとに対する見識と造詣の深さに感銘し、いろいろなことを再認識しながら、学ばせて頂いたのだが、このことをカワラマンの山田さんに話すと、秋岡さんは倉沢デザイン研究所の講師もしておられたことがあって、ご存命で、COREZO(コレゾ)財団・賞の顧問等になって頂けたなら、大きな精神的柱になってもらえただろうし、もっと大きな活動になったかもしれない、とおっしゃっていた。これまで、存じなかったことを恥じ入るばかりである。


 このような学びの機会を下さった時松さんにも改めて感謝申し上げたい。

 

 「活用する技と知恵があればすべてが資源、なければただのゴミ。」、「売り物にするということは、社会に責任をもつこと。」

 

 時松さんのこの言葉を伺って、今更ながら、太陽光発電パネルには、ヒ素・カドミウム・鉛などのいわゆる猛毒の重金属(ただしカドミウム入りは輸入品のみらしい)やレアアースが使われているそうだが、耕作放棄地や山林に設置して、耐用年数が過ぎれば、誰が回収して、安全に廃棄処分するのか?使った後、どうするか決めないで、自然エネルギーを促進するのは、原発と同じ図式である。生産者か購入者のどちらが、責任を持って回収、処分するしかないが、そんな費用は誰も負担したくないし、売値に乗せると売れ(買え)無くなるので、誰もが知らんぷりで、無責任もええトコだと思った次第である。

 

 買って、使う側の見識も問われている。

 

COREZO(コレゾ) 「ゴミで捨てるか資源に替えるかは、活用する技と知恵次第、社会に責任を持ち、商品価値を創り出す木工芸クラフトマン」である。

 

 時松 辰夫(ときまつ たつを)さんに関するお問い合わせは、

 メールで、info@corezo.org まで

 

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、一切、返答致しません。

 

COREZO(コレゾ)賞 事務局 (2014.06.最終取材、2014.09.15.編集更新 文責 平野 龍平)

 

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