小林 秀樹(こばやし ひでき)さん


COREZO
(
コレゾ)

「やりたいことしかやらないから、何事にも全身全霊で打ち込み、人を惹き付ける、常勝、仕掛人」賞


 IRONCROW共同体 代表 トータルプロデューサー

小林 秀樹(こばやし ひでき)さん


長野県小布施町


IRONCROW共同体 代表

トータルプロデューサー




ジャンル


地域・まちづくり


文化づくり



受賞者のご紹介


 小林 秀樹(こばやし ひでき)さんは、小布施にこの人ありといわれる方で、ヒデさんと呼ばれている、長野県小布施町のIRONCROW共同体の代表であり、トータルプロデューサーである。また、ちょい悪デザイナーでもあるらしい。

 

 高校を卒業後、一旦、地元の企業に就職した後、家業の畳屋を継いで、当時は、一見タタミ職人に見えない、タタミ職人がいるということで有名だったらしい。地元の若い仲間を引き連れ池・湖・川を転々して、仕事以外のパワーは全てバス釣りに費やしていたそうだ。

 

 真偽の程は定かではないが、畳アレルギーがひどくなったことから、独立し、元々、絵を描くのが好きだったことから、デザイナーになられた。その内に、これも趣味だった、スキーやスノーボード、スケートボードに関連する仕事を始めるようになり、スキー場でのイベントや再生事業も請け負うようになったという。

 

 現在は、jib item (ジブ・アイテム)という、スノーボードの遊具、ボックス、レール等を各スキー場のスノーボードパークなどに提供する事業等も手掛けておられる。手すりや壁など雪以外の造作物を使ったトリックやライディングは「ジブ」と呼ばれ、ジブを得意とするスノーボーダーは「ジバー」と呼ばれているそうだ。

 

 2013年、小林さんがプロデュースして、六本木ヒルズアリーナに造られた特設ジブアイテムを舞台にした日本最大のストリートスノーボードコンテストが開催されて、4000人以上のギャラリーを集め、ライブウェブキャストにより、イベントは世界中へ配信されたそうだ。

 

 そのセクション(コース)の製作も第1回の2011年から手掛けておられ、長野県で製作し、組み立てて、調整、それを一旦バラして、六本木ヒルズアリーナへ持って行き、再度、組み立て、雪を盛るそうだ。この設計に携わっているのは、アメリカの会社、ヨーロッパの会社、そして小布施IRON CROWの3社だとのこと。

 

 そのセクション(コース)の画像を見たが、スケールもさることながら、デザインが素晴らしい。版権の問題もあり、ここでお見せできないのが残念だ。

 

 また、小布施にあるスケートボード練習施設「アイアンクロウスケートボードランプ場」や国内でも珍しい雪のないシーズンでも楽しめる、スキー&スノーボードジャンプ練習施設「小布施KINGS」の誘致やプロデュースにも携わっておられ、浄光寺にあるスリックラインの施設も元はと言えば、小林さんが紹介したらしい。

 

 さらには、2014年、小布施インター隣の好立地の割に入館者が少なかった小布施町営の千曲川ハイウェイミュージアムの新たな活用法を決める企画コンペに企画、プロデューサーとして参画し、見事、選出され、同年、7月、小布施オープンオアシスをプレオープンした。

 

 同施設は、「小布施ハイウェイオアシスに夢の遊び場をつくる」をコンセプトに、地上2階、延べ床面積994㎡の円形の施設を生かし、施設の内外にボルダリングの人工壁を作り、中庭には若い世代に人気のスケートボード場を作る。また、屋内には地元食材のカフェを設置し、スポーツを軸に、世代を超えた交流の場を目指している。

 

ボルダリングとは、ロープなどの特別な器具を使わないクライミングのこと。クライミングジム等で人工壁を登るのも、川原や山の岩などを登るのもボルダリングと呼ぶそう。もともとは、フリークライミングの練習として始まったものだが、特別な器具を必要とせず、手軽にできることから支持を集め、今ではひとつのジャンルとなっている。

 

 そのプレゼン用動画を見せて頂いたのだが、CGアニメーションで非常にコンパクトにかつ、明確にわかり易くまとめられていて、従来型の箱モノを利用しながら、発想転換したその着想、アイデアもさることながら、素晴らしい出来映えで、これなら、パワポのプレゼン資料しか見たことの無いオジサンたちもイチコロだったろう。

 

 町では、積極的に若者を招き入れており、事業者のメンバーも若く、この若者が集える施設で小布施を知り、移住につながる効果にも期待しているそうだ。

 

 株式会社修景事業の金石 健太(かねいし けんた)さんと西山 哲雄(にしやま てつお)さんのご紹介で、2014年7月6日、「アーネストゲーム2014」というバドミントンの大会が開催されていた小布施町文化体育館を訪ね、監督として、イベントを仕切っておられるお忙しい中、お話を伺うことが出来た。

 

 以下、お人柄が伝わるように、できるだけ忠実に、文字起しをした。

 

−− 畳アレルギーがあって、畳職人を辞められたと伺いましたが、実際のところは?

 

「中国産だとか外国産の畳表を扱うと手の表面がかぶれて皮が剥けてくるんだよね。子供の頃からい草の匂いが好きだったし、触って育ってきたけど、全然、そんなことはなかったよ。昔から、ウチで使ってたのは、国産の熊本とか備前産がほとんどだったからね。でも、今はもう、90%ぐらいが外国産じゃないかな。きっと、変な薬、使ってんだろうな、匂いが全然、違うから。」

 

「高校を卒業して、遊びたかったし、家の畳屋を継ぐつもりだったんだけど、父親に外の飯を食べて来い、って言われて、採用されなければ、家継げるなって思って、大卒しか採らないし、履歴書を出しても落ちるよって言われてた生協を受けたんだ。面接で落ちるように、タバコも吸っていましたし、悪い事もしていました、と言ったら、素直なところが気に入った、って採用されたんで、アレって感じで、思ってたのとは違う方向になっちゃった。」

 

「で、勤めたんだけど、毎日、配達なんかをして、長野県上田市まで毎日通ってたんだ。口には自信があったから、豆腐を売るのも、4人家族でしょ?1丁じゃだめでしょ、とか、組員さんを取るのもそんな調子で、どんどん、成績が上がったんで、自分でもできるんじゃないかと思いだした。その年の冬になって、上田までは遠いし、菅平って山を越えなきゃなんないから、雪積ったり、凍ったりすると危なくって、また、親父に家継ぎたいって言ったら、そこまで言うんだったらがんばれよ、ってことで、8ヵ月程で生協を辞めて家業を継ぐ事になった。」

 

「畳屋をやり始めて、元々、美大に行こうと思ってたぐらい、絵が好きで、家の壁に絵を描いたりしてたんだ。ある時、道に迷ったのか、横浜のペンキ屋が、その絵、見つけて、描いたの誰か、って尋ねてきて、おふくろがウチの息子だっつーと、是非、ウチに来ないか、って言われたようなんだけど、ウチの息子、そういうのやんない、って言ってたよって、断ったらしいんだ。」

 

「そんなことは全然知らないまま、畳屋やってたら、28ぐらいの時かな、ある日、おふくろから、昔、そんなことがあったよ、なんて言うもんだから、なんだ、早く言えよ、ってことになって、独立してやるのが夢だったし、30の時に独立したんだ。」

 

−− 知り合いの美容院のデザインとかを手掛けておられたのでは?

 

「仕事もね、趣味です。友だちに頼まれて、そのデザインをやったら、意外に皆んなからの評判も良くってね、そこからどんどん仕事が入るようになって、元々、そこのデザインをやっていたデザイン会社から睨まれて、後で、そこからスカウトされたけどね、独立したくてしたんだし、何かね、所属するのが無理なんだよね。やりたいことができるうちはいいんだけど、結局、やりたいことだけしか、やりたくないし、今日みたいにね、みんなワイワイ、ガヤガヤしてるのを、ウンウンって見てんのが、スッゲー楽しくて、こういうのがいいんだよね。」

 

「独立したって、下請けの下請けの下請けみたいなところから、小林くん、これやってみてよ、なんてくるんだけど、いろいろアイデア考えて、デザインやって出して、小林くん、これいいよ、っていうんだけど、上に上げたら、全然ダメだった、そんなのばっかりで、それが、悔しくて、悔しくてさ、なんで認めらんねぇんだろって、車ん中で、チョー、泣いてたもん。」

 

「だけど、やっぱ、自分の個性だけを出しても、人って認めてくんない、そこには、ある程度、相手の気持ちや環境も考えないと、例えば、クライアントがパチンコ屋さんなら、なんで、あの人たちはパチンコ屋さんの業界を盛り上げようと思ってるのか、とか、そういうバックヤードを見ないでデザインしていたから、やっぱ、出てきちゃうんだよ、自分の我だけが。そこを見るようになって、理解した上でやるには、やっぱ、取材はする。話して、関わっているいろんな人たちが、どういう気持ちでその仕事やってんのか、聞きながらやると、違うデザインになる。それを何となく取り入れてデザインすると、向こうもわかってくれる。だから、そういうのを繰り返していくと、信用とか、人が何を欲しいかというのがすぐわかるようになってくる。そういうのを、どんどん、どんどん、今の仕事に活かしているんだね。イベントとかもそう、何を欲しているかっていうのを、なるべく、こう、遠くを見ながら、あれ、困ってんなとか、そういうの見たりしてんの。」

 

「結構、衝撃的だったのは、東京ディズニーランドをやってるオリエンタルランドのスタッフ、キャストの人たちなんだけど、彼ら、彼女たちが、小布施に研修に来た事がある。小布施って結構、おもてなしの精神があるわけ。で、おもてなしの精神ってどういうことですかって研修。その前に、話をいろいろして、まず、マップって見ないよねって話をしたんだ。ま、そうなんだ、マップって常連さんは見ないんだけど、じゃ、誰が見ると思いますかって、オリエンタルランドの人が言って、アレは、初めての人か、よくわからない人が見るもんで、それが合図なんだって。キャストの人たちは、マップを広げた人たちに視線が行く、わかり易い合図をお客さんがしてくれる、こうやって手招きするんじゃなくて、マップを広げる仕草で、あの人は何かを求めているっていうのがジェスチャーでわかる。で、声をかけるなり、どう対応するか考える。これって、すごく基本的なおもてなしだなって、だから、そういうところでも話しながら、逆に、学ぶ事がいっぱいあるし、やっぱ、いろんな人との付き合いって大事だなって、新たな発見もあるし。」

 

−− 全国のスキー、スノーボード施設のコーディネートやプロデュースを手掛けておられると伺いましたが?

 

「4年ぐらい前までかな、スキー、スノーボード、ウィンタースポーツメインでやってたから、ピークの時で、186軒ぐらい。今は、80軒ぐらいかな、手広くっていうより、自分が直接見れるところに絞ってやってる。メインはノースエリアっていうんだけど、高井富士とか、竜王とか、小丸山とか、北滋賀エリアだね、あのエリアは、どちらかというと、オレが、ボードとかしてて、北滋賀から出てきた人間だから、あのスキー場は面倒見る。見なくていいって言われても、勝手に見てる、ハハハハ。」

 

「やっぱ、地元が盛り上がんないとダメ、若い時は、遠くのものに興味があって、より遠くへ、より新しい、フレッシュなものを求めて行くんだけど、自分も今度、40になるんですね、40になるにあたって、歳とると、自分の傍の足下のへんというのが、ものすごく大事になってくる。で、ここのベースが無いと、遠くのものもわからなくなっちゃう。だから、ここ小布施が大事、この近隣が大事っていうのを、35過ぎから意識するようになって、地元メインに活動しようと思ってる。」

 

−− 今年の冬季オリンピックから採用されたレールやパイプに乗ったりするスノーボード競技の日本での普及にも一役買っておられるとか?

 

「ジブアイテムだね、ジブアイテムっていうのは、レールなんかの道具に乗って滑るってことだけなんだけど、これを連結させたり、コースの途中に設置して、競技にしたのが、スロープスタイルっていって、今年のソチオリンピックから競技認定されて、競技としても定着しそうだね。」

 

−− スキージャンプとかそういうスノーボード競技の体幹やバランス感覚をトレーニングするのにスラックラインが利用されていて、注目される前から、いち早く目を付けて、小布施にも紹介したのが小林さんでしょ?

 

「そうそう、そうそう、もう、浄光寺や小布施に根付いちゃったからね、林(映寿)くんがもう盛り上げてるし、あれは、彼の能力だからさ、今さら、オレがなんだかんだ言うことはないんだ。」

 

−− で、ご自分の手を離れると、次は、ボルダリングって訳ですね、その他には?


「このバドミントン、もう、やりだすとダメ、これは、全国進出する。で、ボルダリングをやりだした。あの施設の側には、千曲川が流れている。千曲川を利用して、川にカヌーの駅をつくる。須崎から小布施、飯山・・・って、繋げたい。で、それもやりながら、天然うなぎをやりたい。オレの知り合いがやり始めているので、それをベースにいろいろやりたい。」

 

「さらに、高井鴻山記念館、ここ、もったいない。ただ、公開してるけど、何の活用法も無く、どうぞ見て、ぐらいで終わっちゃってるし、ま、文化財だから、仕方ないんだけど、あそこの地下に、洞窟っていうか、抜け穴があんの。今、閉まっちゃってるけど、昔、逃げ道として利用されていて、あの穴をずーっと行くと、信用金庫の下のあたりまで続いている。あの辺一帯は、岩盤が固いから、地下は造れるんだ。その地下で、オレは、カジノをやりたい。これが、今んところの最終目標。」

 

「で、やっぱ、今、一番、興味があるのは、ボルダリング。その次はカヌーの川の駅をつくって、いろんなアクセスラインをつくった上で、最終的にカジノ。昼間、いっぱい遊んで、どうですか、この町は、アクティビティも遊ぶところもいっぱいあって、で、夜ですよ、夜。皆さん、来て下さい、夜の顔もありますよって・・・。」

 


−− 確かに、小布施のメインストリートも夜になると寂しいですよね

 

「もうね、あそこを変えなきゃダメ。ま、いろんな意見があると思うけどね、オレは、やりたいことをやる。」

 

「おもしろい話があって、20年前ぐらいから、ある事業展開を町としてやってて、それは403の開発っていうんだけど、国道403号っていうのは、須坂から小布施、飯山に抜ける道、小布施のメインストリート。風水的にも、南から北、北から南っていうのは風通しを良くしないと、ダメなんだ。そういうのって、結構、気にするんだけど、その403の道幅が広がる。広がるってことは、より、風通しが良くなって、小布施はもっと、もっと、産業が盛んになり、商人の町になる。直線ではなくて、蛇行させれば、そういうところには、いろんな店もできるはず。今まではどっちかというと、東から西に抜ける道、田舎から都会に抜ける道ってのが、メインだったけど、今度は、一気に変わる。これが20年掛かって、3週間前に長野県がやっと認めた。町長も、若い頃からそれにかかわってきたから、すごい嬉しいらしい。」

 

「少し話がズレるかもしれないけど、オレ、個人的には、30年周期だと思ってる、やっぱ、人の流れ、サイクルというものは。でも、この30年周期っていうものは、あくまでも、これまでの30年の中での話で、今の時代、時の流れって、もう少し、短縮されている、20年ぐらいになってるのかもしんない。で、この20年周期の中で、今の町長たちが、20年ぐらい前にやろうとしたことが、やっと20年後に新しく変わっていく、さらに、ここで新しくウチらが売り出す、若い人たちが新しい考え、知恵とか、能力とかを活かす場所をどんどんつくる。そこから、また、停滞が始まる。だけど、さらに20年後なのか、その周期が、25年後なのかわかんないけど、その時に、また、そこで、ポッと芽が出る。だから、ここをウチらは、次の代まで、20年、25年っていうのをかんばんなきゃなんない。」

 

「その町長から、やっとお前たちに、風通しを良くする新しい道を開けられた、っていわれた時に、鳥肌が立った。すっごい嬉しかった。それを聞いて、この人には、やっぱ、全身全霊で付いていくべきだって思った。こういう人がいるから、この小布施も成り立ってんだなって、初めて気づかされた。オレも、多分、林くんもそうだし、いろんな人たちがいるんだけど、自分たちの年代は、ここで、イェーッとか、ヤーッとか、オレ、スッゲーだろ?とかいうのは、みんな、控えだした。次が芽吹くように、肥料をまいてる。それを、みんながちゃんとやってるから、この町、スゲーって思う。」

 

「町長たちががんばってくれた時代があって、セーラが小布施に来て、やってきたこともそうだけど、あの人は有名になったからね、でも、もう、次の新しい時代に入っていて、誰か1人に頼るのではなくて、小布施って、あの、おもしろい人がいっぱいいる町でしょ、という風にならないと・・・、実際、いっぱいいるからね。」

 

「いろいろね、楽しいことをやんないと損した気分になる。んー、やっときゃよかったっていうのは、一番もったいない、お金を落とした気分になる。だから、どんどん、巻き込んで、巻き込まれてだよ。今の若い人達は、振れ幅が小さい。自分がやりたいことをやるべき。やりたくないこととか、出来ないことは、それを出来る人をパートナーにしたらいい。人間、ヒフティー・ヒフティーってないって思うんだよ。それでは成り立たない。どっちかが6割犠牲にならなきゃ上手く行かない。だから、6割を自分が負担すれば、相手は、全くいい感じでいける。」

 

「オレ、何故か、結婚する時に親父に言われたことがある。あ、ちょっと、ごめんなさいね、今、オレ、6割、4割の話してんじゃん?親父がおもしろいこと言って、お前、結婚しちゃうと、2人で100%しかなくなっちゃうんだ。だから、上手くいかねぇんだ。だから、お前、結婚したら、100ずつ持ってろ、つっても、意味わかんないから、えっ、どういうこと、って聞いたら、オレが、どっか遊びに行って、欲求とか満たされて、70%満足して楽しかった、そうすると、相手には30%しか残んなくて、アタシの方が少ないって、フラストレーションになって、それをオレにぶつけだすってこと。」

 

「だから、夫婦って、ヒフティー・ヒフティーを保つ、これをお互い理解しなきゃいけないんだけど、やっぱ、だんだん、男が負けてくる。常に、女性が、7割、8割、握ってるよな、そうすっと、男は、何かもう、下向いて生活しなくちゃいけない。だから、ヒデ、お前だけは、100%ずつ持ってろ、って言われた。」

 

「オレ、だから、やりたいこと、すごく、やらせてもらってる。嫁さんは嫁さんで、どうぞ、つってるけど、実際のところ、多分、我慢してんだろうなって感じてんだけど、それは、なんか、親父に言われて、いい言葉だな、なるほどなって、それ知ってる、知らないで、夫婦生活するのは、全然、違うしさ、やりたいこともやらしてもらってるってのがあるから、嫁さんにもいろいろケアできたりするんだよね。」

 

−− 結婚のパートナーとやりたいことのパートナーは別ってことですね?

 

「ハハハハ、そうそう。」

 

 コレゾ財団・賞の趣旨をご説明し、受賞と小布施での表彰式のご協力をお願いしたところ、快く引き受けて下さった。

 

 そして、コートに戻り、ハンドマイク片手に、軽妙に試合の実況中継を始められて、会場内は笑い声と歓声に包まれていた。

 

 着目点が鋭く、抜群の発想力と行動力だ。この日のバトミントンのイベントには、子供から年配者まで、小布施にこんなにバトミントン人口がいるのかと思う程の人が会場に詰めかけ、参加者もスタッフもみんな楽しそうで、熱気であふれていて、フリードリンクあり、ケータリングあり、大手通信会社までスポンサーについていた。とにかく圧倒的な求心力だ。何か楽しいことをしでかしそうな小林さんの周りには自然と人は引き寄せられるのだろう。年長者からも次期町長に押す声があるのもわかるような気がする。小布施は確実に次の新しい時代に入っている。

 




COREZO(コレゾ)「やりたいことしかやらないから、全身全霊で打ち込み、人を惹き付ける、常勝、仕掛人」である。

 

 

小林 秀樹(こばやし ひでき)さんに関するお問い合わせは、

メールで、info@corezo.org まで

 

本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、一切、返答致しません。

 

COREZO(コレゾ)賞 事務局 (2014.07.最終取材、2014.07.28.編集更新 文責 平野 龍平)

Comments