島崎英雄さん

 COREZO(コレゾ)「伝統構法一筋、日本伝統の建築技術を守る気はあるのか!建築行政に喝を入れ、若手大工を育て続ける棟梁」賞

 

島崎 英雄(しまざき ひでお)さん

島崎工務店 棟梁

職藝学院 建築職藝科 オーバーマイスター

 

経歴・実績

富山県八尾町出身、在住

 

1943年 富山県八尾町大長谷(おおながたに)生まれ

1959年 棟梁坂本国一氏 に弟子入り

1973年 島崎工務店を設立

1996年〜「職藝学院」建築職藝科で伝統構法の基礎を教える 現在、オーバーマイスター

 


富山県建築百選入選、日本伝統工芸富山展入選、第5回工務店の家コンテスト純和風優秀賞受賞など数々の賞を受賞。

国立高岡短大産業工芸学科土木工芸専攻「公開講座」特別講師、八尾町HOPE計画推進委員などを歴任。

NHK「未来派宣言」、日本テレビ「ザ!鉄腕!DASH!!」の「DASH村」での古民家再生やTOKIOの大工指導に携わるなど、TV番組出演多数。


受賞者のご紹介

 2013年6月、高知での夜の会合まで、時間があり、宿泊ホテルの部屋で、何気なくテレビを見ていると、若い人たちに日本の伝統構法を教えておられる棟梁を紹介する番組が放映されていた。

 

 その棟梁の立ち振る舞い、ゆーてはることがめっちゃカッコよくて、直感的に、この方には是非、お会いしたいと思った。番組のサイトを調べると、その棟梁のお名前は、島崎 英雄(しまざき ひでお)さんで、富山県八尾町の方であることがわかった。

 

 富山県八尾町といえば、生涯現役紙漉き職人の吉田桂介さんである。前年、COREZO (コレゾ)賞受賞をご承諾頂いた後、入院されたが、お元気になられて、作業場にも立っておられるというので、1年振りにお伺いすることになっていた。

 

 「これはひょっとして・・・」と、ピーンときて、吉田桂介さんにファックスをしたところ、島崎棟梁とは昔から大の仲良しで、ご紹介頂けるとのこと。

 

 2013年7月、八尾の桂樹舎に吉田桂介さんを訪ねた。とってもお元気で、作業場の急な階段もスタコラサッサだ。話を伺っていると、想像通り、桂樹舎の和紙文庫、民藝工藝館も島崎棟梁が手掛けられたそうだ。

 

 現在の桂樹舎代表取締役である息子さんの吉田泰樹さんが運転して下さって、吉田桂介もご一緒に、島崎棟梁が教えておられるという職藝学院に向かった。

 

 「職藝学院」は、富山国際職藝学院を前身とする、大工・家具・建具および造園・ガーデニングのプロ(職藝人)養成を目的に、1996年4月に開校した、全国でも珍しい大工と庭師を実習中心に育てる私立の専門学校。

 

 なんでも、吉田桂介さんも、島崎棟梁も、「学者棟梁」と称され、「大文(だいふみ)」さんという愛称で親しまれた故田中文男棟梁も職藝学院の構想(約10年かかったとのこと)、設立段階から関わっておられたそうだ。

 

 八尾から車で東へ約20分、富山市街からだと南へ約30分の立山連峰のふもと、自然が豊かで、緑あふれる東黒牧台地にある。周辺には大学や高校、企業の研修センターなどが点在し、学園郷と呼ばれているそうだ。

 

 本部棟?に入ると、島崎棟梁が笑顔で出迎えて下さった。話し難いったらありゃしない、長さが10m程、幅も2m程もある、ハ◯ーポッターの映画に出てくるような、ばかでかいテーブルの棟梁の向い側に座って、ここに至った経緯と目的を説明したのだが、「ハハハハ、そうかい、なんだかよくわからんが、吉田桂介さんがお元気そうでよかったよ。12時には、お昼休みに入ってしまうから、先に授業を見るかい?」と、島崎棟梁の後について、実習現場に向かった。

 

 「こんにちは!」と、元気に迎えて下さった生徒さんたち。12〜3人が、刃物砥ぎに励んでいる中に、何と、キンパツの女性も交じっている。

 

 「私は1年生の基本コースを受け持っているんだけどね、高校を出て来てる子もいれば、エラいなんとか大学の建築学部を出て来てる子もいれば、法学部を出た子もいるし、社会人になってから大工になりたいって子もいるよ。あれは、ウチの孫。それから、あの子はオーストリアから日本の建築を学びたいってやって来たジュリア。私は英語をしゃべれないんだけどね。」

 

 「オーストリアはドイツ語ですよ。」とツッコむと、

 

 「ん?ハハハハ、どっちでもわからないから一緒だよ。でも、あの子は英語をしゃべるみたいだし、身振り手振りで、何とか通じてるよ。」

 

ジュリア・シャッツさんは、既に大学でヨーロッパの伝統建築を学んで、建築関係の仕事に就いてから、日本の伝統建築に興味を持ち、大学の先生から日本に問い合わせてもらって、4ヶ月の短期でこの職藝学院に来たそうだ。ここで学んだことをヨーロッパの建築に活かしていきたいという。

 

 「実はね、あの子を短期で受入れるというので、いろいろ検討して、実習のみのコースを選択してもらった。大学の建築を出てる人や建築士の資格を持ってる人は実習だけでいいからね。その木組みの構造はジュリアとこの4月に入学した子の二人で造ったんだよ。バラせるように込栓は打っていないけどね。」

 

 他の若い生徒さんたちにどうしてこの職藝学院を選んだのかと尋ねると、刃物の砥ぎ方どころか、ノミやカンナの使い方を教えてくれる大工の専門学校は他になかったらしい。

 

 「えっ?他の大工さんの専門学校って、パチ、パチ、パチのホッチキス打ちを教えているんですか?」

 

 「ハハハハ、それは知らないけど、今どきは、現場で材を組んで、上手く合わなければ、作業場に持って帰って加工しているんだよ。その場で削れば済むことができなくなってる。おかしいだろ?ここの基本はとにかく砥ぎもの、実習の日の1限90分は必ず砥ぎものをしている。刃物が砥げないと、継手や仕口の加工ができないからね。」

 「でね、刃が砥げて、道具が切れるようになると、こういう継手とか仕口をやらせる。それができると、自分で墨つけをして、刻んで、ここにきて3ヶ月でも、こうして木が組めちゃうんだよ。」

 

「ひとりひとり、課題を与えて、つくらせて、どのようにして、家が建つのかというのを体感させて行く。ノミが使えるようになれば、仕口や継ぎ手を刻んで、木組みがある程度できるようになったら、次はカンナだ。でね、何が難しいって、墨付けだね。墨付けができるようになると、どんな曲がった木でも上手く組めるようになる。」

 

 「自分の技術で何かものを作れるというのは、楽しいよ。お金には代えられない喜びがある。道具を使えれば、色んな物を作れる。だから道具だけはしっかり使えるようになるようにみっちり鍛えているよ。」

 

 「でもね、座学の日もあるから、実習の日が空くと、手の勘も鈍ってしまう。だから、毎日実習だけの子の方が、覚えは早いね。座学の日も自習で、実習すればいいんだけどね。」

 

 「そりゃあ、途中で音を上げて辞めていく子もいるよ。でも、開校してからだと、もう500人は卒業させたかなぁ。2年になるには、進級製作がある。不合格でも、やる気のある子たちには合格するまでつきあうよ。」

 

 「2年生になると、実物教材といって、お客様から受注して、学生の教材として提供してもらって、実際に、家を一軒建てる。依頼してくれるお客様も結構いてね、私らがついてやるんだから、仕上がりもそんなに遜色はないよ。ま、お客様には、これまでの実績を、見てもらって判断してもらう。」

 

 「結果的には、予算が少ない依頼主には喜んでもらっているし、生徒たちにとっては、人様の住む家を建てるという失敗が絶対許されない仕事に取り組めば、緊張感がまるで違うから、グンと伸びるし、とてもいい経験ができる。で、最後に卒業制作に合格すれば、墨付け、刻みができ、図面も引けるようになって卒業だ。」

 

 「せっかく、棟梁たちから技術を学んで、それを発揮できる現場が今あるのですか?」

 

 「基本的なことはしっかり教えているので、就職率はいいよ。ここに来てる子たちは、大工の家の子も多いし、もっと勉強したいと、修行したいというのもいて、うちの工務店でもここの卒業生を何人か引き受けているけど、居すわってしまうのが多くて、早く独立させないとね。」

 

 「でもね、卒業したからといって、何でもできる訳じゃない。卒業してからが勝負だ。いろんな修行をして、いろんな建築をやって、経験して、そこから自分の道を開いていくしかない。ただ、私たちが教えている伝統構法を取り巻く環境は何とかしたいと思っている。」

 

 「大学院を出て、一級建築士の資格を持った子も来るよ。大学の教授は座学ばかりで、大工の経験がないから、ここで教えるようなことは学べないんだろうね、構造計算やデータだけでは伝統構法の木造の家は建たないよ。本を読んだだけじゃ、実際のところ、何もわからないからね。」

 

 「実務で木造には全く携わっていないにも関わらず、勉強して一級建築士をとれば、ついでに木造もやれるぐらいに思われているんじゃないのかな。だから、段々、レベルが低下していくんだと思う。家づくりが工業化されていくのは、仕方ないとして、自分の技術でものを作っていくというのは、学問とは別の世界ではないかなと思うよ。」

 

 「ところで、オーバーマイスターという肩書きは?」

 

 「ドイツにマイスター制度というのがあるでしょ?」

 

 「ということは、マイスターより上って、ことですか?」

 

 「う〜ん、なんだか恥ずかしいね。初代のオーバーマイスターだった大文(だいふみ)さん、田中文男棟梁が亡くなってね、お前がやれ、と。」

 

 「で、棟梁はどうして大工を志されたのですか?」

 

 「大工になりたくて大工になったわけではないんだ。家は八尾の山間部の農家で、養蚕や、農閑期には紙漉もしていたなぁ。中学を卒業する時に、私の意志とは全く関係なく、親から、お前はこういう親方のところに行って、修行して、大工になれ、と言われて、柳行李(やなぎごうり)ひとつ持って、その親方の家に行ったんだ。」

 

 「5年間、住み込みの生活でね、四六時中、親方と一緒なんで、大変だったね。1日も早く一人前になりたくて、がむしゃらに働いたよ。あの時の柳行李が自分の大工人生の原点だね、大事に取っておけばよかったなぁと、今になって思うよ。」

 

 「30歳の時に独立して、島崎工務店を立ち上げた。親方からお客さんを分けてもらう?そんなのないよ、全部、自分で一からだよ。ちょうど、新建材が出始めた頃で、新しい工法なんかにも興味を持って、いろいろ勉強してやってみたけど、結局、職人としては、技術的に難しいし、ゴマカシのきかない木造の家のほうが、ずっと面白い。」

 

 「私のこと、TVで見てくれたんだってね?どの番組かな?ここんとこ、いくつかTV取材があったんでね、ああ、そう、あの椅子を取り上げた番組ね。あれは、私が、どうしてあの椅子をつくったか、真意は伝えてくれていなかったなぁ。」

 

 50年以上前に、イタリアの天才建築家といわれたジオ・ポンティがつくった「スーパーレジェーラ」という超軽量の椅子は、「世界一軽い椅子」と称され、その重量は僅か1800グラムで、今でも販売されているそうだ。それを見て、触発された島崎棟梁が組み上げた椅子は、さらに軽い1650グラムで、指一本で持ち上げることができ、その上、115㎏の人間が座っても大丈夫だという。それが、「あの椅子」である。

 

 材は夏椿の15mm角で、ホゾを差し、大入れをつくって、組み、込栓の代わりに、民家で100年間いぶされ、丈夫な燻製状態になった煤竹の外側からつくったピンを差している。座面は八尾らしく、和紙。大工の木組みの技を知ってもらいたいと思ってつくったそうだ。

 

 「固めようとするから、無理がくる。適度なゆるみで遊ばせればいいんだよ。100kg以上の重量でも、曲がって、しなって、力を分散させる柔構造で支えているから、ポキッとはいかない。もし、あれを釘や金物、筋違いで止めたり、接着剤で固めると、必ず折れる、動かんからね。木を選び、木の目をみて組めば丈夫なものだ。」

 

 ちなみに、夏椿は別名シャラ、庭木として都会でも人気だ。知らなかったが、加工しやすく、強靭な特徴があり、建築材や木工品にも使われるそうだ。

 

 また、八尾の曳山こそが、島崎棟梁の建築の原点だとおっしゃる。八尾には全国的に有名なおわら風の盆と曳山の祭りがあり、曳山は、建物にすると2階以上の高さがあって、とてもコンパクトな造りなのに、かなりの人数が上に乗り、300年以上も曳き廻されて、都度、必要な補修、修理はしているが、今でも現役だそうだ。今の建築は、金物で固めるということしか頭にないが、木と木を組み合わせた柔構造というのが一番長持ちする秘訣だという。

 

 前回の八尾訪問時には、時間が無く、吉田桂介さんのお話を伺っただけで、次の訪問先に移動したので、今回は、桂樹舎の作業場と和紙文庫、休館中の民族工藝館も見学させて頂いた。民族工藝館は古民家を移築したもので、和紙文庫は島崎棟梁の出身地の大長谷(おおながたに)にあった小学校を移築したものだそうだ。どちらも島崎棟梁が手がけられたという。

 

 「そうそう、でも、あの民族工藝館は、他の棟梁が請け負っていたんだけれど、途中で亡くなってね、で、私が、引き継いだんだ。だから、解体する前の建物を見ていないからね、どうするか、いろいろ考えたよ。和紙文庫はその後だね。」

 

 「民族工藝館の外観は質素だけど、内部は重厚な木組みで素晴らしい造りですね。」

 

 「いや、そんなことは全然考えていなかったよ。あるものを使うというのが、私らの基本だからね。古材はいいものが多いよ。吉田桂介さんからは、『用の美』ということを教わったね。ものづくりは余計なことをせず、シンプルにってことかな。」

 

 「でも、よく考えると、私は、親方から受け継いだ大工の技を使い、用に徹して、昔からのやり方で造ることをしてきたから、結局、同じことだなと気づいたんだよ。昔から大工がやってきた当たり前のことを当たり前にやっているだけでいいんだなと。」

 

 「深い軒は、風雨から建物を守る役目をするけど、木組みと軒の出がつくり出すプロポーションの美しさは、計算されたデザインではなく、先人たちの知恵と工夫の結晶なんだよ。リカちゃんハウスが美しいという人にはわからんだろうね。時間が経っても美しく、時間が経つ程、味わいが増す家がいいよね。そこに住んでいる人が美しいと感じてくれたら嬉しいよ。」

 

 民藝運動を起こした思想家の柳 宗悦(やなぎ むねよし)さんが、「用の美」を唱えたそうだ。

 

 「用の美」とは、昔からある用具の美しさは、作為的な装飾やデザイン等が先に有りきではなく、ただただ、用途に応じて作り、改良を重ねた結果だとか、さらには、単なる機能美ではなく、工藝とは用と美が結ばれるもので、用は、モノとして機能の用と、ヒトの心を満たす用がひとつになった不二の物心への用であるとか、美は高い対価を支払って作家につくらせるものではなく、工人、職人が日々、汗水垂らして労働し、技を練り、数多くつくられたものから選ぶべきものとか、何だか哲学的な話でチンプンカンプン。

 

 同じ用具でも、地域によって異なる気候、風土、暮らしている人々の個性が反映された機能、様式があり、その土地で暮らす市井の人たちが、日々の生活からつくり出し、実際に使いながら、技を磨いて改良を重ね、使い込んでいくと、さらに愛着が増す美しさというようなことではないだろうか?

 

 最近流行りの、古民家解体の際に出た古材の梁を、梁としての機能を全く持たない単なるお飾りで天井に渡した建築がオシャレとか、日本全国、どこの家でも屋根を工業化された画一的な瓦で葺けば、品質も一定でキレイだとかとは、対極の価値観だろう。

 

 ま、興味のある皆さんは各自、お調べになって、お考え頂きたい。

 

 吉田桂介さんは、1937年に日本民藝館を設立した柳 宗悦(やなぎ むねよし)さんを東京に訪ね、幸運にも面会することができた。様々な和紙の見本を見せて下さって、「今、世の中には、色の白い、弱い、安物の紙が沢山あるけれど、これらの紙は、化学染料でなく、天然の草木染めをして、伝統の手法で真面目に作られているからこそ美しい。君は、伝統をしっかり守って、昔のままの紙をやりなさい。そうすれば間違いない。」と、言われたことから、和紙づくりを生涯の仕事と定めたそうだ(吉田桂介さんの紹介ページに詳細)。

 

 何だか、島崎棟梁の仕事にも通じているような気がする話である。

 

 その後、吉田桂介さんは、民藝協会にも関わり、日本各地、韓国をはじめ、世界各国の民藝品を収集し、世の中に紹介してこられた。紙に関するものは和紙文庫に、その他の工藝品は民族工藝館に収蔵されていて、その工藝品と美に関する目利きとしても有名である。

 

 吉田桂介さんは、古民家にも用の美を見いだしておられたのかもしれない。

 

 そして、その後、島崎棟梁は、数多くの古民家の修復、再生を手掛けておられる。

 

 「古民家は修復するけれど、古材は、モッタイナイから再生しようというのではない。昔は、古材を使うのが当たり前だった。100年も経った木は、乾燥の具合もいいし、狂うだけ狂っていて、新しい材より、ずっと丈夫だ。もう一度使う価値があるから使うだけだよ。ま、すぐにでも腐る新しい材と100年もった材の違いがわかって使えばそうなる。古材と呼ばれること自体、何か、変だな。ちょっと違うような気がするね。」

 

 八尾はかつて、養蚕と紙漉の集積・中継地として栄えたが、時代と共に衰退し、今では、かつての養蚕会館が観光会館として利用されていているぐらいで、養蚕で栄えた面影はほとんど残っていない。紙漉も桂樹舎一社だけしか残っていないそうだが、往時の歴史を偲ばせる町並みはかなりしっかりと残っている。

 

 その町並みの保存には島崎棟梁も一役買っておられるようだ。

 

 吉田桂介さんのご紹介で、筆者たちが泊まった「宮田旅館」の建物は、築約300年で、八尾で現存する最も古い建物だという。島崎棟梁が、建て直しの相談を受けて、「こんな建物、もう建てられないよ、残した方がいい。」と、床下がかなり痛み、建物自体も傾いていたが、何とか修復して、再生したそうだ。一階の囲炉裏の部屋から吹き抜けを見上げると、見事な梁が残っている。

 

 また、ある補助が出て、島崎棟梁が住む町内の公民館を、コミュニティセンターとして立て替え、新築することになった。この建設委員長だった島崎棟梁は、予算の心配もあり、「自分が責任を取るので、頼むから、学生の教材にさせて欲しい。」と、町内を説得して、生徒さんたちと一緒に、伝統構法を駆使して建てた。2階の和室がおわらを踊るステージになっていて、通りから、踊りも建物の木組みも全部見えるようになっているそうだ。

 

 八尾の町並み保存には、行政からの補助や助成金はほとんど無く、逆に無かったから、住民同士が、お互いに知恵を絞って、「自分たちの町だから」と自主的に町並みを守ろうという方向に動いたそうだ。町がいくらかでも補助するというと、それを変にアテにして、今のようにはなかっただろうとおっしゃる。

 

 以前、人気アイドルグループが古き良き日本の村落をつくる企画のTV番組で、島崎棟梁が大工指導、古民家再生指導をしたそうだが、その様子が放送されると、話題になって、弟子入り志願者や職藝学院への入学希望者が増え、大工さんが増えるきっかけにもなったという。

 

 「島崎工務店で仕事を引き受ける地域の範囲はあるんですか?」

 

 「頼まれればどこでも行くよ。東京で活躍している八尾出身の女優さんの家も建てた。それも3階建で。宮田旅館は、その女優さんの母方の実家だよ。」

 

 「私のやる伝統構法で、本当に東京の真ん中で建つのかというある意味、挑戦だった。自分の木組みでしっかり組んで、金物は一切使わず、構造計算もして申請したが、結局、確認通すのに半年かかった。最後は、今までの実績と私の経歴を出せと言われて、出したらそのまま通った。」

 

 「だったら早く言ってくれよって。でね、その区役所の指導課の人達がね、ケチを付けたいんじゃなくて、たぶん、こんなのはもう見れないだろうから勉強の為にと、建築中に、何度も見学に来たよ。でも、あれから、さらに確認申請が厳しくなっているので、今やったらどうなるかわからんな。」

 

 「職藝学院を卒業して、ウチで何年か修行した子が、故郷の岡山に帰って、ウチで覚えた伝統構法の家を建てようとしたら、許可が下りない。富山と岡山は違うって、おかしいだろ?行政の担当者に、岡山は富山以上に雪が降るのかい?より厳しい気候条件なのかい?って聞きたいよ。」

 

 「100年保つ家を建てるにはどうすればいいかって、よく聞かれるけど、100年経った家を解体してみればわかると、いつも答える。法規は検査する方の都合でできていて、今のことしか見ていない。新築ばかり見ていたんじゃダメだ。」

 

 「作業場で検査できる人を育てないと、完成したのを検査してホゾや仕口の構造がわかるかい?だから、見てわかる金物を使えという。その上、大壁(おおかべ・柱を壁で覆ってしまう工法)ばかりだから、完成後にわかりゃしない。今じゃ、ハウスメーカーなんてのは、作業工程を効率化して、後期を短縮することばかりに一生懸命で、人工乾燥材や集成材を使って、プレカットだから、木組みを自由にできる技術なんてどうでもいい。その方が儲かるからね。」

 

 「集成材の寿命は、接着剤の耐用年数だけが頼りだ。人工乾燥材もダメだね。新しい時にはそれなりに強度はあるんだけど、高温で乾燥させるから、繊維を守る脂(樹脂)がほとんど抜けてしまっている。無理矢理乾燥させても、自然界でまた水分を吸わんわけにはいかない。そうなった時の実験は誰もしないんだよ。古い民家を解体した時に、周りの白太の部分が朽ち果てて、木の形がなくなっていても、中芯の脂のあるところはものすごい力が残っている。中には、マッチでその脂に火がつくのもあるよ。」

 

 「だから、その材木自身が、本来持っている繊維を守るために必要な脂を抜いてしまうのは全く理解できんね。自然乾燥には時間が掛かるし、施工段階で狂いが出にくいとか、木を読まなくていいとか、施工側の手間を省く勝手な都合だね。そのしわ寄せが、そんなこと知らない施主さんにやって来る。」

 

 「こっちにきてごらん、ほら、これ、防腐処理をした柱に金物を取り付けて1年後の状態だ。完全に腐食しちゃってる。こうなったら、ビスも何も効いちゃいない。これを認可した役人に見せたら、見なけりゃよかっただって、どうしようもないね。」

 

 「この防腐処理の薬がすごいの。相当キツいから金物が負けるんだね。5年刻みぐらいで調査して、絶対的な賞味期限を言えというんだよ。それが、認可した側の責任だろ?新築時には、何でもそれなりの強度はある。ただ、時間が経って、どうなったら、どうなるか。大工をしてると、解体したりして、色んなものを見る。だから、こういうのが気になって仕方がない。」

 

 「大壁もダメだね。今どきは、大壁にして、大工の仕事も他に都合の悪いことも全部隠してしまうだろ?築後20年ぐらいしか経っていなくても、大壁の家を建て替え、解体するとよくあることなんだが、壁の内側が結露して、水分が下がっていって、下の木からダメになっている。下ってわかるだろ?土台や基礎からダメになるってこと。そうなると、どんな立派な金物があろうと、豆腐にかすがい、ぬかに釘だ。」

 

 「大工仲間とこういう話をすると、そんなことはいつも見ていて分かってる、と言いながら、表に立っては言えない。みんな、いろんな事情があるからね。でも、誰かが言わなきゃ何にも変わらない。」

 

 「私なんかは、島崎工務店の方は8歳年下の弟に任せて、この職藝学院で教えるのに専念してるんでね。えっ?どうしてって?もう、70だよ、老眼が進んでね、思うような仕事ができなくなったんだよ。目が見え難くなったんじゃないよ、ただの老眼だよ。」

 

 「今の主流の建築工法は、施工されはじめてまだ数十年という歳月しか経っていない。でも、私たちのやっている木造伝統構法には、比較にならないほどの歴史と実績がある。脈々と続いてきた千年以上にわたる技の伝承を自分たちの代でなくしてしまう訳にいかない。私に技を伝えてくれた親方、その親方に伝えた棟梁、・・・・、何代、何十代と遡って、伝えてきてくれた大工、棟梁に申し訳がたたない。」

 

 「でも、いくらいい大工を育てても、作業場で検査できる人間を育てなきゃダメだ。伝統構法が分かる人材の育成もしないで、マニュアルで検査しようというのが、そもそも間違っている。検査官は、マニュアルにないことをされると、判断できない。だから、金物に頼ることになる。金物が付いているかどうかだけで、ことの善し悪しを判断しようということになってしまう。」

 

 「検査する立場の人間が、検査される側より、知識や経験がなくて、検査ができるのかと言いたい。こっちが、その気になれば、ごまかすのは容易いことだ。だいたい、組みあがってから検査して何がわかるというのか?外から見て、ホゾや仕口の深さや大きさがわかるのか?それすらわかっていない。工務店の作業所で墨付けが正確か否か判断できなければ、検査の意味がないということだ。」 

 

 「行政で建築に携わる人や設計者には、つくれなくてもいいから、最低限、木組みがわかり、構造図・伏図が書けるようになるよう勉強してもらいたい。そう、天下りができない世の中になってるんだから、建築関係の役所を定年になる連中を活用すればいいんだ。その気があるなら、私の経験、知恵や技はいつでも教えるし、ここ(職藝学院)で勉強すれば、それぐらいのことは身に付くんだ。」

 

 「棟梁、タイヘンですぅ、ウチの家は金物が入ってませーん。違法建築ですか?」

 

 「ハハハハ、それは、きっといい家だ。」

 

 「でも、1年で金物がダメになる防腐剤を認可しておいて、後は知りませーんて、知らん顔してるヤツらに、自分がお金を払って住む家のことをゴタゴタ言われたくないですよね。自己責任でええんとちゃいますの?でも、融資が下りんか?アレッ?20年ももたない家に借り入れ期間35年で融資する方もする方ですよね?あっ、そうか、建て替えで、また、融資するからええのか。アレッ?やっぱ、なんかおかしいですよね。建築行政と建築業界、それと金融業界も。」

 

 「下っ端の役人にいくら言っても仕方ないの。建設行政のトップに日本伝統の建築技術を守る気があるかどうかだよ。一度、聞いてみたいね。」

 

 「私が、日本で千年以上続いた伝統構法を消滅させますと、一筆書いてもらっといたらいいですね。いずれ歴史の教科書に載りますよってね。その時は是非ご一緒させて下さい。その前に、今度、一緒に飲みましょうね。」

 

 「わかったよ、ハハハハ。」

 

COREZO (コレゾ)「伝統構法一筋、日本伝統の建築技術を守る気はあるのか!建築行政に喝を入れ、若手大工を育て続ける棟梁」賞である。

 

島崎 英雄(しまざき ひでお)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

 

COREZO (コレゾ)賞 事務局 (文責 平野龍平 最終取材2013.07.編集更新2013.07.22.)

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