佐野正則さん

本Webサイトはリニューアル中です

最新版、佐野 正則(さの まさのり)さんご紹介ページはこちら


COREZO(コレゾ)「社会悪=ブラック・黒に常に怒りを持って行動し、自立・自給・持続可能な人間本来の暮らしをデザインする、世直し事業家」賞

 

佐野 正則(さの まさのり)さん


株式会社黒怒(こくど)代表取締役会長

愛知県豊田市出身、愛知県尾張旭市在住

 

経歴・実績

1973年 自然食品店「黒怒」開業

1988年 株式会社黒怒 設立

1998年 農地を探し始める

2000年 農林水産省「循環型森林活用構想」の検討委員

2000年〜愛知県東加茂郡足助町の山ノ中立地区で自然農法による実験農場開始

 

受賞者のご紹介

 2012年9月、蜷川 洋一(にながわ よういち)さん取材時に、自然食を広めてこられた佐野 正則(さの まさのり)さんのお名前だけは伺っていたのだが、2013年6月、日東醸造さんの足助仕込蔵でのイベントで、実際にお目に掛かり、お話を伺うことができた。その後、日を改めて、2013年7月、蜷川さんにもご同行頂き、愛知県尾張旭市にある株式会社黒怒さんに伺った。

−−どうして、自然食の世界に入られたのですか?

 「検査技師補助として精神科の病院に勤務していたのですが、介護補助等も手伝うことがあって、せっかく退院できた患者さんが、必ずまた病院に戻ってこられることに疑問を感じていました。患者さんをよく見ていると、ご家族や生活環境、取り巻く社会に問題があることがわかってきて、福祉の勉強をしたくなり、退職して、福祉専門の大学に入学しました。」

 「大学在学中の1970年代は、水俣病・イタイイタイ病等の公害が大きく社会問題化し、農薬や食品添加物の問題も指摘され始めた時代でした。生命の尊さには大きな関心があり、机上の勉強だけでは納得できず、自分で調べ始めたところ、命を守るのは食であり、国が認めた添加物にも安全性に問題があることがわかって来たのです。」

 「そもそも、人間だけでなくすべての生き物は、繁殖をして、子々孫々つながっていきます。そして、今を生き、成長するためには、『食』が必要で、『食』と『性』が生き物の基本であることに気づき、そして、生き物を取り巻く『自然・環境』にも関心が深まっていきました。」

 「しかし、その生き物の基本となる食が、添加物や農薬などに汚染されているのは、あまりにもおかしいと大きな憤りを覚え、当時、無添加で安全な食品を吟味して販売している店舗がなかったので、ならば、自分が提供しようと、1973年に大学を辞め、豊田市で自然食品店を始めました。」

−−「黒怒」という社名からは、ちょっと怖い印象を受けたのですが、先日、足助で佐野さんのお話を伺って、全然、ちゃうやん、めっちゃええことしてはる会社やん、ということがわかりました。「コクド」と聞くと「国土」を連想しますが、「黒怒」は、一度拝見しただけで、すっごく記憶に残る社名ですね?

 「世の中の『悪』を色に例えると、『黒』であり、社会の『悪』を真正面からしっかりと見据え、常に真摯な態度で『怒』る精神を持ち続けていこうという決意から、『黒怒』と名付けました。自分の幸せだけでなく、社会全体が良くなるために現状の悪いところを変革し、自分自身を成長させ、人間本来の暮らしを提案し、実際にそういう世の中にしたい、というのが基本的な考え方です。」

−−そうだったんですね。納得です。佐野さんにピッタリの社名に思えて来ました。で、まだ世間に少なかったという自然食品店はすぐに受入れられたのですか?

 「まずは、品揃えからでした。ホンモノの食品を探し求めて、全国を駆け回りました。当時はそのような情報がほとんどなかったので、目星を付けては飛び込み、現場で原料や製造工程等を確認し、自分が売りたい商材が見つかると、時間を掛けて交渉しまた。」

 「徐々にお客様も増えてきて、そのうちに、顧客の求める商品や自分が売りたい商材が見つからない場合は、自社開発するようになっていったのですが、ある程度のロットをまとめないと、生産を引き受けてもらえないので、小売から卸売りに転業し、販売ルート、販売店の確保にも尽力するようになりました。」

−−どのような商品を自社開発されたのですか?

 「最初に開発したのが、生芋こんにゃくでした。一般に市販されているこんにゃくは、製粉したこんにゃく粉が原料ですが、生芋こんにゃくは、すり潰した生芋を原料に作ります。」

 「生芋から、タンパク質や糖類他の不純物を除去し、こんにゃくを固めるのに必要なこんにゃく芋の主成分であるグルコマンナンという多糖類だけを精製したものが、こんにゃく粉で、長期間保存でき、いつでも同じ品質のものができるというメリットがあります。これが、工業生産に向いているため、一般に普及しました。」

 「一方、生芋こんにゃくには、こんにゃく芋が本来持っているタンパク質や糖類他のいろいろな成分が含まれており、これらが『旨み』になるので、手作りの生芋こんにゃくは、とても美味しいのです。」

 「しかし、生芋は貯蔵性や均一性などに難があったので、年間を通じて、安定して大量生産するのには向いていませんでした。最近はスーパーなどでも見かけるようになりましたが、当時は、産地でしか食べられない地域限定品のような商品で、お土産品等でしか流通していませんでした。」

 「岐阜で在来種のこんにゃく芋の生産から手掛けているこんにゃくメーカーを見つけ、これは是非取り扱いたいと、交渉を重ねて、商品化に漕ぎ着けました。生芋こんにゃくは今でも弊社で取り扱っている人気商品でもあります。」

 −−確か、日東醸造さんのしろたまりの製品開発でも佐野さんのご助言があったと伺いましたが・・・?と、ご同席頂いた蜷川さんに尋ねた。

  「そうです。先代の父からしろたまりの開発を引き継ぎ、弊社創業当時のしろ醤油の風味を追い求めて、試行錯誤を重ねていた時に、知り合いから佐野さんを紹介されて、試作品を持って、訪ねました。」

  「キミ、これじゃ、ボクは扱えないよ、しろ醤油の文化性を考えたことはあるの?昔のしろ醤油には添加物等は使っていなかったはずでしょ?創業当時の風味を再現するというなら、当時はどんな原料を使っていたのか検証したの?等々、次々に、厳しい意見を頂きました。そして、精製食塩を使ってはできんだろ?と、伊豆の天日塩『海の精』を紹介して頂いたり、いろいろなアドバイスを頂き、しろたまりが完成しました。」

  「そうなると、私の凝り性にも火が点いて、しろたまりにふさわしいいい仕込水を探していた時に、当時の足助町の助役を紹介して下さったのも佐野さんでした。」

  「弊社は元々、業務用の商品が主力だったので、しろたまりも料飲店やプロの料理人、板前さんを中心に営業していたのですが、なかなか販売には結びついていませんでした。佐野さんに相談をしたところ、しろたまりは特別な商品、しろ醤油として売るのではなく、マーケットがなければ、新しいマーケットを創って売っていくべきだと、言われました。」

 「そして、一緒に販売ルートを開発しよう、と何度も同行営業して下さいました。その際、黒怒さんの営業のついでに、しろたまりの営業もして頂けるものと思っていたら、どこに行っても、しろたまりの話しかされないんですよ。そして、交通費、宿泊費他の営業経費を一切受け取って下さらないばかりか、ご紹介頂いた販売ルートは全て黒怒さんを通じて販売して頂くものと思っていたら、直接、販売できるところはそうして下さいと、おっしゃっるんです。」と、蜷川さん

−−えっ、それは、どうしてですか? 

 「三河は、大豆100%で栄養価の高いたまり醤油と、原料のほとんどが小麦で料理をキレイに仕上げるしろ醤油という全く性格の違う両方の醤油の発祥の地で、全国でも珍しいと思います。それに八丁味噌やみりん等も含めて、三河の素晴らしい発酵食品、醸造文化を全国に発信したいという思いがありました。」

  「また、私にとっては、ホンモノのいい食品が広く一般に流通することの方が先なので、黒怒が商品の流通をお手伝いできる場合はいくらでもお手伝いしますが、黒怒が関わることで、少しでもそれを邪魔するようなことはしたくない、いや、してはならないと考えています。」

  また、同席されていた黒怒現社長の眞田 也守志(さなだ やすし)さんも、

 「私は、黒怒に入社する前には食品会社の営業をしていて、お取引先様からのご紹介で、佐野に出会いました。『ちょっと怖い名前の会社だけど』と見せていただいた名刺に驚いたのを今でも覚えています。私にも、販売ルートや取引先を次々と紹介して頂き、大口の取引がいくつも決まり、営業成績もぐんと上がりました。」 

 「ところが、自社で直接取引ができるなら、黒怒を通さなくて結構とおっしゃったので、正直、ビックリしました。それをいいことに、私の勤務していた食品会社は、全て直接取引にして、黒怒には何のお礼もしなかったのです。その上、大口の取引先が増えたことで、営業効率を上げるため、それまでお付き合いのあった小口の取引先を整理するように指示されました。」

 「そんなこともあって、佐野という大きな人物に魅かれ、どうしてもこの人の下で働きたいという想いから、半ば無理やり転がり込むような形で、17年前の3月、黒怒に入社しました。」と、眞田さん。

−−そうだったんですね。そう言われるとフツーはできんもんですし、逆に、将来に渡っての信頼関係を築けるかの試金石にもなりますね。ところで、ブラック醸造会社さんの社長さんもとってもブラックだから、全部、直接取引にして、ウハウハなんでしょ?で、何食わぬ顔で、今日もここに座っておられるですよね、蜷川さん? 

 「何を言ってるんですか?ウチはしろたまりを造っているピュアホワイト企業ですよ。そんな不義理は一切したことがありませんがや、ガハハハ。」と、蜷川社長。

−−農業にも取り組んでおられると伺いましたが・・・?

 「私の食に対する基本的な考え方というのは、まず、第1段階は、自然に生えているものを自分で採って自分で食べる。第2段階は、自分で作って自分で食べる。第3段階が、昔でいう『おすそ分け』の考え方。自分の信頼できる人に分けてもらう、あるいは作ってもらう。そして、第4段階が、安全なものが欲しければ、信頼できる人から買う、ということです。ここで初めて経済行為が生じます。スーパーや自然食品の店で買ったり、田舎のおばあちゃんが作った野菜を買ったり、漁師さんから魚を買う場合もあるでしょう。」

 「私は、卸売業者として、商品のことはよく知っているつもりですが、原料素材の生産の現場については全くの素人でした。もっと安全で、高品質な食品を、と生産者にお願いしておきながら、現場の実態を知らないのでは話になりません。さらに自然食を極めるためには、自分自身が農作業を体験して学ぶことが必要だと感じていました。」

 「また、その当時、狂牛病が問題になり、一般の皆さんにも知られるようになりましたが、私は、ずっと、日本の農業の安全性や食品表示の曖昧さについて、危機感を抱いていました。本当に安全な食品を安心して食べるためにはどうしたらいいのだろう?と思い悩んでいましたが、『自分が作ったものを自分で食べる』という食の原点に立ち戻ってみようと考えたのです。」

 「農業をするには農場がいるので、1998年から農場探しを始めました。そんな時、ふと目にとまったのが足助町でした。紙漉きをはじめ、手作り文化を発信する村おこし運動で有名になり、福祉問題にも熱心に取り組んでいる町でした。農業を始めるにあたり、豊かな自然があることはもちろんですが、同じやるなら文化的な場所でやりたいと思い、早速、足助町職員の方々にご協力いただきながら、町内で農地を探し始めました。」

 「そして、足助町では一番過疎化が進む山ノ中立という地区で、運命的な出会いがありました。その山の頂きに広がる小さな集落で、農家のおばあちゃんが、私に声を掛けてくださったのです。私の土地を借りたいという思いとおばあちゃんの誰かにこの里に住んで欲しいという思いが一致し、500坪の土地をお借りすることになりました。私としては、さまざまな知恵を教えてもらえる農業の師も得ることができて、まさに一石二鳥でした。」

 「足助の実験農場で育てる作物に関しては、私なりのこだわりがありました。それは、昔ながらの『伝統野菜』といわれる野菜でした。」

 「現在、世の中に流通している野菜は、消費者や流通業者の“わがまま”によって、見栄えを良くしたり、流通に都合のいい形(箱詰めしやすいよう、曲がっている大根を真っ直ぐにするなど)に品種改良されているものが大半を占めています。こういう野菜のタネは遺伝子が変わってしまっているため、実は一代限りの命で、同じタネを残せないのです。」

 「一方、昔ながらの品種のタネは遺伝子が固定された固定種で、昔、農家の皆さんは、自分のところで育てたタネを保存し、それを蒔くということを繰り返していました。そういう昔の野菜である『伝統野菜』を復活させようということに足助の農場では取り組んでいます。」

 「ただ、『適地適作』ということもあるので、昔と同じタネでも良いものができるとは限りません。足助という場所でうまくできるものと、できないものがあります。2000年から、足助農場にあった伝統野菜作りをずっと手探りでやってきました。」

 「また、品種改良していない昔の野菜は美味しいのか、栄養があるのか、私には、正直、まだよくわかりません。例えば、ゴボウに含まれるビタミンCは、一般に流通しているものより伝統野菜のほうが数倍多いそうですが、実際にデータとしてあるかというと、まだまだ少ないのが実状です。」

 「それ以上に、私が重要視したい問題は、現在、食べているものが本来の味だと思われてしまっていることです。本物の味を知らない人たちが増えているのに、昔の味と比較できなくなっているので、『比較対象としての伝統野菜』が必要だ、ということなのです。」

 「小松菜の原種は、ヨーロッパから中国を経由して、江戸時代の初期に日本に伝来し、品種改良が行われ、栽培が始まったといわれていますが、現在、小松菜として流通しているのは、ほとんどが、中国から来たタアサイやチンゲンサイを掛け合わせた品種です。種苗メーカーなどが、同じアブラナ科で緑色の濃いタアサイや茎が太くて見栄えの良いチンゲンサイを掛け合わせ、見た目の良いものを作っているのです。」

 「さらに、今の野菜は、見栄えだけではなく、甘さも追求していて、例えば、トマトも甘くなってきました。私が知っている本来のトマトは酸っぱいのですが、それを『まずい』と言う人もいるでしょうし、『あっ、これが本当のトマトの味だ』と選ぶ人もいるかもしれません。今の人たちは酸っぱいトマトの味を知らないから、トマトは甘いものだと思っているのではないでしょうか?」

 「大根にしても何十種類とあって、そばつゆに添えるのは辛味大根で、ふろふき大根には方領(ほうりょう)大根と、昔の人は使い分けをしました。でも、今の人は『大根は大根』ですよね?つまり、消費者は選ぶ権利を奪われているのです。どこで採れようが、大型の温室やビニールハウスで一気に作れば味も規格化されてしまいます。そして、それを本物の味だと思っているんですね。」

 「というわけで、私は、常日頃から、伝統野菜の味を知っている人たちが健在な今のうちに、そういうものを掘り起こしたいと、強く、強く思っています。」

 佐野さんへの取材の前に、自然農の村上真平さんからは、F1のタネの話を伺い、それ以外にも、農業をしておられる皆さんから、遺伝子組み換え、種苗メジャーの独占、ジャガイモの発芽を抑制(芽止め)するための放射線照射、ミツバチの大量失踪等々の話を伺っていた。

 昔の八百屋では、大きさも形もバラバラのキュウリ、ナス、ニンジン、大根、・・・、をかごに入れて、ハカリで量って買っていたのをおぼろげながら覚えているが、もう随分前から、スーパーの店頭には、パックに入った異常に姿形の揃った野菜しか並んでいない。何かヘン・・・、どんな技術で品種改良したんやろ?、いつかはキチンと調べなアカンと思っていたが・・・・。

 で、佐野さんのお話をより理解するために、固定種とF1種について少し調べただけでも、衝撃の真実が・・・。

 固定種(在来種)とは、大昔から受け継がれてきた「単一の遺伝子が親から子へ受け継がれる種」のことで、農家は、代々、できの良い野菜のタネを採種し、翌年にまた蒔いて収穫することを繰り返してきた。ところが、今では、ごく一部の京野菜などの伝統野菜を除いて、一般には固定種の野菜を育てる農家はほとんどなくなっているという。 

 これに対して、F(エフワン・first filial generation・雑種一代)とは、異なる品種を掛け合わせて、一代目の時だけに現れる「雑種強勢」という性質を利用した品種改良技術で、雑種強勢によって野菜の生育はよくなり、さらにメンデルの遺伝の法則によって両親の性質のうち優性の方だけが現れるので、形が揃い、同時期に一斉に収穫したり、植える時期をずらして、1週間毎等、計画的に収穫することができるようになったそうだ。

簡単にいうと、遺伝的に遠縁の多収性の種、生育の早い種等を選び出し、人工的にかけあわせて親のええとこ取りだけした野菜で、農家は、自家採種するために親株をずっと畑にとっておくスペースが不要になり、短期間で違う品種を栽培でき、サイズ、規格も揃うので、大量生産、大量消費という時代のニーズに合致して、1960年代頃から急速に普及し、今やスーパーに並んでいるのはほとんどがF1種の野菜だそうだ。

 しかし、F種の親の優れた特性が子に出るのは一代限りで、二代目は遺伝子が揃わなくなるため、種を採っても、親と同じようには育たず、形や性質が不揃いになってしまうので、毎年、農家は、その種子を買うことになり、種苗会社には、同じ雑種一代を作り、継続して販売できるという大きなメリットが生まれる。ただ、この一代限りのF1種は、世代を超えて生命の受け渡しをすることができないので、自然界では循環しない自然の摂理に反した品種と言う人もいるようだ。 

さらには、流通している野菜で、家庭で調理されているのは3割を切ったそうで、今や種苗会社は、個々の消費者ではなく、外食産業や食品加工会社、大手流通の方に向いているのは、容易に推察できるだろう。つまり、外食産業や食品加工会社は味付け、加工のしやすい、均一、均質で、味の薄い野菜を求めていて、不揃いで、味にも個性がある在来種・固定種にはニーズはないということだ。

 ある有名な農業家が、穫れすぎて余ってしまった無農薬有機栽培の良質な大豆を捨てるのはもったいないので、豆腐や味噌等の大豆加工食品メーカーに、タダでもいいから引き取って欲しいとお願いして廻ったが、それだけのために生産ラインの機械の調整、洗浄をするのは面倒だ、と全て断られたという話にも合点がいく。

F1種は、自家受粉できないようにして、人口受粉して作られる。「除雄」という雄しべをピンセット等を使って手作業で除去し、他の品種と交配させる方法が、日本では大正時代から始まり、「自家不和合性」という近親婚を嫌がる性質を利用する技術に発展し、現在は、「雄性不稔(ゆうせいふねん)」という突然変異の個体を母株に利用する方法が主流になっているという。

 雄性不稔って何?ってことだが、ミトコンドリア遺伝子の異常で、雄しべや花粉を持たない個体が、自然界でもごくわずかな確率で生まれるそうだ。自分で子孫が作れないために、淘汰されてきたそんな個体を見つけてきて、母株に利用し、正常な生殖機能を持つ個体と人為的に交配させると、雄性不稔は母系遺伝するので、この無精子症にした野菜を効率的、かつ無限に増やすことができるという。

 というわけで、種苗メーカーにとってはドル箱になるので、この突然変異の個体を探すのに躍起になっているそうだが、今や遺伝子操作をすれば、この突然変異の個体も作ることができるという。

 しかし、自然というのは常に本来の姿に戻ろうとするので(遺伝子組み換えは元に戻らない)、時々、雄性不稔の野菜の中には、雄しべのある正常な花が咲くこともあるそうだが、それを種苗会社は見つけては破棄してしまうという。生命として正常な野菜の遺伝子は捨てられ、知らないうちに、私たちは、雄性不稔というミトコンドリア遺伝子の異常を利用した野菜しか食べられない状況になりつつあるのだ。

 ミトコンドリアとは、ほとんど全ての生物の細胞内にある構成物のひとつで、生きるために必要なエネルギーを供給する小器官だそうだ。そのミトコンドリア遺伝子異常の野菜などを食べることによって動物への影響はないのだろうか?近年、成人男性の精子数の減少化や06〜07年にかけて欧米で発生したミツバチの大量失踪等が問題になっているが、誰か、調査、研究している人はいるのだろうか?

 また、自然界ではありえない、全く種類の違う作物を掛け合わせて突然変異の個体を作る技術も確立されているそうで、人間の浅知恵で勝手に生命を操作して、自然の循環や摂理に何か悪影響はないの・・・?と、シロートながら、つい心配してしまう。

 さらに、F1種の栽培は多肥が前提で、耐肥性を持つように作られていて、化学肥料を多く投入すれば作物はよく成長するが、他方、雑草もよく繁茂し、その分、除草剤の使用量も増え、短期的に収量が増えても、長期的には、土壌の劣化や害虫の発生などで栽培が困難になり、結局は収量が減ることも多いそうだ。

 近代農業に必須の三点セットは、F1種、化学肥料、農薬で、これらを農家は毎年購入しなければならず、それだけコストがかかる。大きな成果を期待して近代的農業を採り入れた地域、国々でも、今では、病虫害、土壌汚染、多額の負債、貧富の格差拡大といった問題を抱えるようになっているという。この辺は、村上真平さんから伺った話にもつながる。

 1996年に初めて、米国の農薬会社が、遺伝子を人工的に操作し、自然界では生まれることがない遺伝子組み換え作物を誕生させた。自社の除草剤に対する耐性や殺虫毒素を持った細菌の遺伝子を組み込むことで、除草剤を使っても枯れない、虫が食べれば死んでしまうというトウモロコシや大豆、ナタネが生産され、種と除草剤がセットで販売されるようになったそうだ。

 日本では、当初、3品目のみ遺伝子組み換え種子の輸入が認められたが、その後はなし崩し的に下記の通り、

厚労省が発表した「安全性審査の手続を経た旨の公表がなされた遺伝子組換え食品及び添加物一覧」

http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/dl/list.pdf

安全性審査の手続って何?マウス実験で2〜3世代の安全性ってどんだけのもん?よくご存知の方にはご教示願いたい。

 日本はそれらの農作物の大部分をアメリカなどからの輸入に頼っている。現在、日本では食品の全体の5%以上(EUでは1%以上)に遺伝子組み換え原料が使われている場合は表示義務があるそうだ。

 大豆は、輸入比率が約94%、そのうち、米国、カナダからの輸入が約80%を占めるというのに、スーパーの店頭で、「遺伝子組み換え大豆使用」と大書きした豆腐や納豆を見かけないのは何で?私たちが食す味噌や醤油、豆腐、納豆、食用油等に使用されていないの?そんなわけないわな・・・。

 トウモロコシに至っては、ほぼ100%輸入(米国90%)に頼っていて、穀物総輸入料の約60%を占め、その約65%が飼料用ちゅーことは、日本で飼育されている家畜も、遺伝子組み換え食品をせっせと食べて育つちゅーことになるわなぁ。その肉とか、タマゴとか、ギューニューとかはダイジョウブなん?

 搾油用ナタネの輸入比率もほぼ100%。内、約90%がカナダ産で、遺伝子組み換えのキャノーラ種(聞いたことあるね)が主力らしく、輸入ナタネについては、遺伝子組み換えか否かの区別なく扱われ(なんで?)、菜種油には遺伝子組み換え食品の表示義務もない(なんで??)らしい。

 ちなみに、日本は世界一の遺伝子組み換え作物輸入大国らしいでっせー。

 えらいこっちゃー、あーあ、みんな、知らんうちに食べてるんやでぇ。なんで、大々的にホードーせんのやろねぇ?TPP反対ちゅーとるヤツらも、なんで、こんなダイジなことをモンダイにせえへんねん?きっと、いろいろと、マズイこと、ヤバイこと、オトナのジジョー、ちゅーのがあるんやろねぇ。コワイよ〜。触らぬ農産物にタタリなし、クワバラ、クワバラ。

 で、この遺伝子組み換え作物の一番の問題は、自然界で交雑して、同属の非遺伝子組み換えの品種も人為的に組み替えられた遺伝子に汚染されていき、永久に元に戻すことが不可能になることだそうで、被害を受けるのは植物だけではなく、ミツバチの大量死等との関連性も指摘されている。

 1998年、同じ種苗メジャーが、さらに種苗市場を独占するために、新たな遺伝子組換え作物を開発した。なんと、植物に寄生してガン化させるアグロバクテリウム(根頭癌腫病菌)を植物細胞に挿入し、そのトウモロコシの実から採った種を取ってまくと、発芽した途端、枯れて死んでしまというという。これには、多くの反響を呼んで、販売には至ってないそうだが、他のメーカーもこの技術を既に確立しているらしい。

在来種(固定種)は、自然のなかで交雑を繰り返しながら生まれ、それが違う土地に渡っていって栽培されると、また交雑し、気候風土にも適応して、多様多様な品種が生まれてきた。そうして、何年もかけて、種をつなぎながら、遺伝子を固定し、品種としての特性が親から子、子から孫へと代々保たれているので、世代を超えて種として存続していくことができ、これこそが、長い年月をかけて環境に適応しながら生き延びてきた証でもあるという。

農家が毎年、種苗会社からF1種のタネを買って、栽培するようになると、その地域固有に存在していた伝統的な品種は、栽培も採種もされなくなって、次々と消滅しているそうだ。例え、冷凍保存していても、年々、発芽率は低下するそうで、栽培作物の遺伝的多様性のうち、75%がすでに失われ、毎年さらに2%ずつ失われているという。また、多様性が失われると、遺伝的均一性によって、害虫・病気・気候変動への耐性が弱くなっていくそうだ。

 今後、F1種から、さらに遺伝子組み換え種子に取って代われば、遺伝子組み換え作物を望むか望まないかという私たちの意志とは全く関係なく、種子会社の販売する遺伝子組み換え種子の作物しか口にできなくなるかもしれない。現実に、種苗メジャーと呼ばれる上位3社だけで、世界の商業種子売上の80%以上を占め、種子の特許取得件数の半分近くを握り、さらに、世界各国の種苗メーカーを買い漁って独占を進め、すでに韓国の種苗会社は全てメジャーに買収され、日本国内の種子の自給率は10%もないそうだ。

そして、F1種に過度に依存するリスクを認識し、何とか在来種を残したいと考えたとしても、消費者ができることはほとんど何もないという。そもそも今では、市場で売られている野菜は、有機栽培を含め、F1種がほぼ100%で、無農薬や非遺伝子組み換え作物は選択できても、食べたい在来種を自由に市場で買い求めることなど、ほぼ不可能に近く、食の選択の権利・自由なんてただの幻想で、チャンチャラおかしい状況だということを知っている人はどれほどいるのだろう?

 オイ、オイ、エライことになってるやん、そんなことをしてたのかよ、ってことだが、

 パンパカパーン、

 「あんな、ワシら、慈善事業やってんのとちゃいまんねんで、今の世の中「経済効率」でっせ、「手間がかからん」・「継続的に売れる」ちゅーのは、ウハウハちゅーことでんがな。」

 「ま、いろんなジジョーがおましてな、安価にバカスカつくれるカガクヤクヒンが余っとって、これを抱き合わせで売れるええ方法考えましてん。最初は、使てもろた人もウハウハでっせぇ、ほんで、イッペン使こてもろたら、ずーっと使こてもらわなあきまへんねん。」

 「そうそう、よー気ィつきましたな、ゴーホー的に◯チューとか、◯◯チュー作ってるみたいなもんですわ。よー考えてまっしゃろ?後のこと?そんなもん知りまっかいな。次は、もっと儲かること考えますさかい、心配おまへん。」

 「生命倫理?、何ゆーてはりまんねん、世界のジンコー70億超えとりまんねんで、食料の安定供給にコーケンしてまんのや、礼のひとつもゆーてもらわなあかんぐらいですわ。人類の進歩、科学の勝利でっしゃろが。」

 「安全性てか?、チャチャッと、マウスで調べてまんがな。データねつ造?テーケーしてんのはエライ学者センセーでっせ、ケンキュー費もよーさん払ろてまんねん。ゲンパツ54学者センセらもゼッタイ安全って、ゆーてはりましたがな。マウスで二代はイジョーなしでっせ、三代目?四代目ってか?そんな時間掛けとったら、お安う提供できまへんで。」 

 「なんせ、何でもゴーホー的にやるんは、ケッコータイヘンでっせ、そのスジ、あのスジに、あんなことやこんなこともせなあきませんしな、ワシらも、それなりにクローしてまんねんで。ま、そんなこんなで、ノー◯だかコー◯だかのおカミのおスミつきでっせ、しゃーから何のモンダイもおまへんのや。イヤやったら食べんといたらよろしおま。」

 「ワシら、めっちゃ、ゼニ使こてますさかい、元も何もキッチリ、ゴッソリ取らせてもらいまっさ。「自由市場経済」バンザイでんな。ま、とにかく、人間は食わんと生きていけませんのや、これ握ったら、テンカ取れまっせ、ね、ノブナガはん、異常、モトイ、以上、ガハハハ。」

 「ほな、サイナラ〜。」(10の声)

 というようなことを佐野さんはよくご存知で、農業を始められたのではないかと思う。

 メンデルの法則?優性遺伝?ミトコンドリア?、???、生物を受験科目に選択しなかったツケは大きいゾ。そういえば、医学部受験でも生物が選択科目になっていることが問題になっていたなぁ。

 知らん、知らんかった、知らんぷり、わからんから思考停止、・・・。考えない、考えたくない消費者は何かしらコントロールしたい側の思うツボ・・・、ま、どう考えるか、考えないかも勝手だけど、手遅れになる前に、気づいた人から、考えて、行動するしかありまへんな?

 で、大変、長くなったが、これで、個人的な農に関する疑問がかなり整理できたところで、佐野さんの話に戻す。

  「こうして、2000年にスタートした伝統野菜づくりでしたが、2003年には、もう一歩踏み込んで『タネはどこから来たのか』ということを調べ始めました。足助町は、かつて、『塩の道』の中継地点でした。三河で塩をつくり、足助で荷造りし、長野のほうへ運び、その帰路、長野の方から持ち込まれた工芸品や文化などさまざまなものの中には、当然、食品やタネもあったでしょう。そして、それらは足助を起点にして名古屋や三河方面に流れていったと考えられます。」

  「『塩の道』というのは文化的には非常に重要なもので、文化の源だと思います。塩というのは人間にとって絶対に必要なものなので、世界には、シルクロード以前にも、『塩の道』というものが、存在していたはずです。日本の文化について調べるのであれば、日本にはシルクロードというものはないので、『塩の道』は、研究対象として、奥が深いのではないかと思っています。」

  「具体的には、まずは、足助町、そして、塩をつくっていた三河湾の吉良町、さらに長野の塩尻(そこまで塩が行っていたから『塩尻』という地名になったらしい)等の郷土史家から話を聞きたいと思っています。伝統野菜がどういう流れで来たのか、本当にそこで固定していたのか、というようなことを知りたいし、愛知県を中心に、『塩の道』の経路に沿って食文化を調べてみたい。伝統野菜というものを通して、そんなテーマも見えてきました。」

−−先日、足助でのイベントに伺った際、街中を通ったのですが、昔ながらの町並みが残っていました。その後、木曽上松、木曽平沢、塩尻を経て、長野県小布施に向かったのですが、塩の道の一部を通っていたのですね?

 「そうでしたか、足助の町並みは国の重伝建(重要伝統的建築物群保存地区)にも指定されていますよ。昔ながらの鍛冶やさんなんかも残っていますので、今度、ご案内しましょう。」

 「私は、商売をやりたくて始めたのではなくて、必要に迫られて始めました。最初は小売だったけれど、自分の売りたい商品を作ろうと思えば、力を持たなくてはいけない、そうすると、卸に転身せざるを得ませんでした。そうして、必要に迫られてやってきましたが、肝心なのは、自分の考え方をどこまで貫けるかということです。」

 「できる、できないではなく、やるか、やらないかです。始めた当時は、お上のおスミ付きで、大手の会社が作ったものなら添加物が含まれていようが何の問題にもならず、それはヘンだからと変えようとしても、まず不可能でした。だから、やるか、やらないかの精神しかなかったのです。どこまで本気になれるか、現状を踏まえて何をするか、今も基本考え方は変わっていません。思ったことを続けようとしたら、足助での野菜作りまでやることになりました。」 

−−安全な食を極めると、『自分が作ったものを自分で食べる』ということになるのだとは思いますが、都会で生まれ育って、仕事をしている人にとって、農業をするというのは、なかなか敷居が高いですよね?

 「ええ、安全な食品について興味を持って、『自分が作ったものを自分で食べる』という食の原点に気づいても、誰もが自給自足の生活ができるわけではありません。都会でお金を払って安全な野菜を買うのも一つの方法ですが、まずは、自分のレベルがどれくらいかを知ることが大切で、そうすると、自分自身がどこまで挑戦したいかが見えてきます。」

 「実際に農業をやってみると、『これくらいのことだったら自分でもできる』と思うかもしれませんし、『どこかで土地を借りてやってみよう』という気になるかもしれません。あるいは、田舎に定住する気持ちにもなるかもしれません。ただ安全な野菜が欲しいのか、それとも、そういうものを自分で作るくらいまでの気持ちになれるのか、さらに、もう一歩先の問題が見えてくるのか、そういうことのきっかけとして、まずは一度、無理のない範囲で、農業を体験してみることを勧めたいのです。」 

 「私も農業なんてやったことがなく、タネというのは1袋『何グラム』という単位で扱うのかと思っていたら、「デシリットル」でした。畦(あぜ)とは何か?畝(うね)とは何か?土寄せとは何か?基本的な知識も何もなかったのです。何年も有機農業に取り組んでいる人に教えてもらいながらやりました。」

 「最初から、『農業をやるんだ』と大上段に構えても、何が必要かすらわかりません。私が農業を教わっている人の軽トラックにはいろいろな道具が積んであって、まるで宝物箱のようです。そこから、その都度、必要なものを、『ハイ』と出してくれるのですが、やっているうちに、どんな時にはどんな道具が必要か、わかってきます。」

 「私たちのレベルだと、この土地ならこれくらいの道具が要るな、土が固いからこういう道具が要るな、と必要なものから買い揃えていけばいいのです。また、キュウリとかナスは、毎日大きくなるので毎日採らなくちゃいけないけれど、イモ類は放っておいてもできるので非常にラクだし、収穫も一気にできる、というようなこともわかると、力の入れ加減もわかってきます。いずれにせよ、自分で見て、五感を研ぎ澄まして感じてみることが肝心で、そこから見えてくるものがあるはずです。」

 「私たちは、周りに迷惑を掛けることもないので、いつもラジカセで音楽をガンガン流して、誰かと話をしながら農作業をします。お昼には、酒盛りしたあとにゴロンと横になったり、それぞれのペースで作業をします。畑で井戸端会議をやっているイメージですね。特に、誰かに呼びかけたりもしません。ただ、『来たければ来て、帰りたければ帰って、自由にやってください』という感じで、やりたいと思った人が、気軽に農作業をできる一つの見本形になればと、取り組んでいます。」

−−それは楽しそうですね。そんな農作業ならできそうだし、やってみたい気持ちになりますね。

 「そうでしょ、それに、農場の地主のおばあちゃんの暮らし方を見ていると、これが本来の暮らしだな、と思うようなことがたくさんありました。水は山から引き、トイレは昔ながらのボットン式で、排泄物は発酵させて畑に撒き、スーパーで買い物をしたときに付いてくるトレイは捨てずにとっておいて、自分が漬けた漬物などをおすそ分けするときに使うというように、全く無駄がないように見えました。」

 「食生活もほぼ自給自足で、肉なんてほとんど食べませんが、ものの味、ものの善し悪しをよくご存知です。醤油が欲しいというので、『ウチの醤油は高いよ』と言ったら、『いいよ、あれは美味しいし、のびがある』と言ってくれました。おばあちゃんの『のびがある』は、私たちの『濃い』で、昔の味、本物を知っているからこそ、他のものと比較して、『のびがある』から高くないと、ウチで扱う値段の高い醤油を評価してくれていたのです。」

 「都会では、行政主導でやっきになってもなかなか解決できない環境問題も、このおばあちゃんは、自然と感謝しながら共生し、『もったいない』のひとことで、ごく当たり前に個人の責任を全うしていたのです。」

 「そんなふうに彼女から学ぶことはたくさんありましたが、昔の人たちのやることが全部いいというわけではありません。こちらが教えることもありました。というのも、私たち農場は無農薬が基本なのですが、ある時、『佐野さん、キャベツに虫がついとったから、農薬かけといてあげたよ』と言われました。彼女たちは普通に化学肥料や農薬を使っていたのです。う〜ん、気持ちはありがたいけれど・・・、当初はそんなこともありました。」

−−農協が農家に配っているカレンダーを見たことがあるのですが、作物別に種蒔き、施肥、消毒の時期がキッチリ表示されていました。

  「そうですね、農協の指導もあったのだと思います。でも、だんだんと、私たちの取り組んでいることをきちんと理解して、農薬などがよくないこともわかってくれたようで、あまり使わなくなりました。また、梅干を漬けるときの塩も、ウチの商品を使ってくれるようになって、お互いにきちんと理解し合える交流ができていたのです。」

 「自分の食べるものは自分で作れる土地、シックハウス症候群を起こさないような住居、自然エネルギーの活用、・・・と、いろいろな要素があるでしょうけど、都会よりも農村の方が、より人間らしい暮らしができるのではないでしょうか?それにもレベルがあって、農村で暮らす人もあるだろうし、農村へ通う人もいるでしょう。そう意味でも、足助辺りは、名古屋周辺の都会の人が農的な暮らしをするベースとして、適当な地域ではないかと思っています。」

 「私の場合は、たまたま、足助に土地を借りることができて、地主のおばあちゃんも、面倒をみることができなかった農地を私たちが使うことによって、荒れないだけでも助かっていたのではないかと思います。『佐野さんも家を建てて、ここに住まないか』とも言ってくれていたのですが、実は、悲しいことに、最近、亡くなられたのです。」 

——そうだったのですか、残念ですね。 

 「ええ、それで、足助での私たちの農業の活動は、一時、休止しているのですが、また、貸して下さる農地を見つけて再開したいと思っています。彼女と彼女の暮らしから多くのことを学ばせてもらったので、心から感謝しています。」 

 「今では、そのおばあちゃんの集落も過疎化が進んで、7~8軒しか残っていません。じいさん、ばあさんばかりで後継者もいないので、いずれは廃村になることも覚悟しているようです。それならば、都会の人でも、理解のある人に土地を貸して入ってもらうことを考えてもいいような気がしますが、それが、なかなか難しいのです。」 

 「私は、誘ってもらう前から田舎で暮らしたいとは思っていたのですが、地元の周囲の人たちがみんないい顔をしてくれるわけではないのです。農村社会は閉鎖性が強く、『都会者』や『他所者』の受け入れを拒否する社会です。そこら辺りの意識を変えようと、行政も絡めていろいろ頑張っていますが、これが、なかなか難しい問題で、『お百姓さんは都会の人に土地を解放してほしい』ということをスローガンにして、取り組んでいかなければならないと思っています。」

−−確かに、どこの地方の地域も、過疎化、少子高齢化は何とかしたいが、他所者の受入れはイヤという、同じような問題を抱えているようですね。

 「昭和初期の頃の人口分布は、農村80%、都会20%だったのが、今では逆になっているので、いかに都会の人たちが農村へ入れる状況をつくるかということが重要だと考えています。」  

−−最後に、山岡さんと知り合うまでは、自然食品店というと、病人食を売っているところというようなあまりいいイメージを持っていませんでしたが、今では、自然食、イコール、安心、安全で、ホンモノの食材は美味しいというのがよくわかってきました。これからの自然食、自然食品店のあり方、将来の展望をどのように考えておられますか? 

 「本来の自然食を知らない皆さんはそういうイメージを持っている方が多いかもしれなせんね。私自身は、自然食という呼び方にこだわっている訳ではなく、おっしゃるように、無添加で、安全なホンモノこそが、美味しいのです。そういうことをひとことで表現できる言葉が他にあればいいのですが・・・。」 

 「安全な食品に対する欲求はますます増大しているのに、自然食品店と呼ばれる業態は伸び悩んでいます。原因は専門性に特化できていないところにあります。最近では、『この商品売れる?』と、よく尋ねられますが、それでは、スーパーや百貨店、量販店と同じで、そんなことでは、規模の大きなところには勝てる訳がありません。専門性を持って、自分が売りたいものを売ることです。自分が売りたいものは、自分自身で勉強して、知識を身につけ、探して、経験して、見つけなければなりません。そういう手間なことをしたくないのでしょうね。」 

 「食の安全について具体的な提案をするために自然食の店を始めて、化学調味料や合成添加物を排除し、昔ながらの製法にこだわった自然の味、日本の伝統食の素晴らしさを伝えるため、日本が誇る伝統食文化『発酵食(味噌・醤油・ぬか漬けなど)』を中心に、安全な食品、環境に優しい生活関連用品等の商品企画・開発及び、卸売業務を行ってきました。」 

 「戦後、日本は、高度経済成長を目指して、経済力は手にしましたが、それと引き換えに、人間にとって多くの大切なものを失ったのではないでしょうか。私たちが始めた頃は、安全な食品を手に入れることが難しかったのですが、今は、食の安全性に対する意識も高まってきたので、安全な食品に限れば、かなり容易に手に入るようになりました。だから、安全性の部分は他に任せて、私たちはむしろ、食にしても本物の分野、日本の伝統的な食文化の研究やその伝承、さらに踏み込んで、人間の暮らし全体にわたる提案をしたいと考えています。」

 「私の実体験からの提案の一つは、稼げるような農業はしなくてもいいので、自分が食べるものぐらいは自分で作ってはどうかということです。自然を身近に感じる農的な暮らしの中に、人間本来の暮らしを感じられると思います。」 

 「それから、今、一番関心があるのは、保育所や幼稚園の給食です。予算が厳しいからという経済的な理由で、子供たちに何を食べさせてもいいのでしょうか?これからの未来を担う子供たちにこそ、ホンモノの食品を食べさせたいのです。生産者と連携して、安全で美味しい農産物の供給をはじめ、私どもの扱う調味料他の商品を使ったレシピの開発、子供たちや親たちとの収穫体験や生産現場見学等、やりたいことは山ほどあります。まだまだ、そういう保育所や幼稚園は少ないのですが、理解して、賛同してくれるところが増えれば、経済的な問題も少しずつ解決していけるでしょう。食育も含めて、何よりも大切なことに、子育てをする親の世代にも気づいて頂くためにも、そういう事業にも積極的に取り組んでいきたいと考えています。」

COREZO (コレゾ)「社会悪=ブラック・黒に常に怒りを持って行動し、自立・自給・持続可能な人間本来の暮らしをデザインする、世直し事業家」である。


佐野 正則 (さの まさのり)さんに関するお問い合わせは

 メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

 

COREZO (コレゾ)賞 事務局 (文責 平野龍平 最終取材2013.07. 編集更新2013.09.04.)

Comments