市川寛也さん

 COREZO(コレゾ)「妖怪は地域が語り継いで来た物語、妖怪採集やまちおこしへの活用で、歴史に向き合い、地域固有の文化を創造する、妖怪研究家」賞 

市川 寛也(いちかわ ひろや)さん

茨城県出身、在住

筑波大学人間総合科学研究科芸術専門学群 芸術専攻 芸術支援領域

妖怪学、妖怪研究家

 

ジャンル

妖怪によるまちおこし

地域振興

妖怪学、妖怪研究家

 

経歴・実績

1987年茨城県生まれ

コミュニティとアートの関係性をテーマに研究活動

地域社会と妖怪文化との関係についての研究

地域の物語として言い伝えられてきた妖怪を、そこに住む人たち固有の文化として位置づけるため、フィールドワークやワークショップを実施

「妖怪採集」 各地で地域住民と一緒に妖怪がいそうな場所を探すワークショップを実施

「くらしの妖怪研究所」 くらしの中で、人々の想像力が生み出した存在、妖怪の現代版を創造

 

主な論著に「『地域にひそむものたちを考える』記録集―茨城の妖怪文化を探る」(2010年)、「コミュニティ型アートプロジェクトのその後―「小料理喫茶ワシントン」をめぐる生活景の再生を中心に」『文化資源学』第10号(2012年)など。

 

受賞者のご紹介

市川寛也(いちかわひろや)さんは、筑波大学で、コミュニティとアートの関係性をテーマに研究活動を行うと共に、地域の物語として言い伝えられてきた妖怪を、そこに住む人たち固有の文化として位置づけるため、フィールドワークやワークショップを実施しておられる。

 

 2013年6月、徳島県大歩危に滞在中に、大歩危峡まんなかの大平社長から、「今日、日本全国の妖怪伝説の研究をしておられる先生がここに来られています。」と、ご紹介頂いた。

 

 筆者も昼間連れて行ってもらった、徳島県三好市山城町の野鹿池山神社(のかのいけ)のお祭りにわざわざ来られたらしい(それも毎年)。野鹿池山(1294m)はシャクナゲの名所で、大歩危峡から車で2〜30分上った山頂近くに野鹿池山神社がある。神社周辺、参道は湿地帯で、生育しているオオミズゴケを守るために遊歩道が設けられている。

 

 この野鹿池山には、龍神と化身の乙姫の伝説が残っており、野鹿池山神社には雨乞いの神様として、龍神さんが祀られているそうだ。

 

 その日、夕食をご一緒したのだが、第一印象は、どっからどー見ても妖怪オタク。しかし、よく話を聞いて、この紹介記事を書くのに、「市川寛也 筑波大学」とググると、好きこそ何とかというか、妖怪学?妖怪研究?ではかなり有名な方のようで、いろんなところで、フィールドワークやワークショップを実施しておられるのがわかった。

 

 で、その時お会いしたのが、ひゃくねんめで、市川さんの手引きで、2013年8月、大平社長ご夫妻もご一緒に、岩手県金ケ崎町で開催された「幽霊化け物妖怪会議」というイベントにも参加することになったのである。

 

 現在の民俗学研究は過去の資料や文献の研究が主流だそうだが、市川さんは、現地に出向き、フィールドワークでの聞き取り調査を重視して、続けているそうだ。

 

 「カッパって、どんな姿を想像しますか?きっとアレでしょ?TVが一般家庭に普及して、あの酒造会社のTVCMが流れて、それを見た人の意識に刷り込まれてしまったんです。コナキジジイは、もうアレしか頭に浮かばないでしょ?ご存知のように、アレは、民族学者の柳田邦男さんが編纂した『妖怪名彙(1938)』に紹介された日本全国の妖怪の中に、『児啼爺(コナキジジイ)』の記載があり、漫画家の水木しげるさんがその記述から発想して創作したといわれています。マンガやアニメになったキャラクターを見てしまうと、それが見た人のイメージとして定着してしまうんですね。」

 

 「カッパの伝承は日本全国に残っていて、呼び方も、河童、河太郎、ガワッパ、カワエロ、フチザル、エンコウ、カワコ等々、地方によって色々で、この大歩危の辺りでは、エンコと呼ばれています。絵や彫刻のような像も各地にたくさん残っていますが、よく似ているのもあれば、全く違うものもあって、それを比較するだけでもかなりおもしろいです。図像を見てしまうとイメージが刷り込まれてしまいますが、人から聞いたり、文字を読んだだけなら、その人の頭の中だけで勝手に想像するんですよね。」

 

 「コナキジジイだって、妖怪村の平田政廣さんのお父さんたちが伝承を覚えていて、山城町がコナキジジイ伝承発祥の地として特定された訳ですが、伝承を聞いて覚えていた平田さんのお父さんのコナキジジイのイメージは、水木しげるさんが創り出したイメージとは違っていたかも、というより、きっと違っていたはずですよね?そういうふうに考えながら、調査を重ねるとおもしろいですよ。」

 

「そもそも、『妖怪』という言葉から、何を思い浮かべますか?と、尋ねると、人によっては、恐い、気持ち悪いとか、あるいは、マンガやアニメの妖怪のキャラクターを連想するかもしれませんが、妖怪には決まったカタチはないのですから、その人が思い浮かべたひとつひとつが、妖怪であるといえます。」

 

 「では、『みなさんの地元に妖怪はいますか?』と尋ねられたら、今度は何を思い浮かべますか?多くの妖怪は、幽霊と違い、出没する場所が決まっています。例えば、『あの川には河童がいる』とか、『向こうの山には天狗が住んでいる』といった具合ですね。妖怪がいるとされる場所には、多かれ少なかれその周囲に暮らしてきた人々の記憶を伝える『小さな物語』があります。妖怪は、地域のコミュニティが時間をかけて紡いできた、いわば、共同作品なんですよ。」

 

 「ですから、妖怪の伝承って、妖怪の現れそうな場所があって、物語が生まれて、語る人がいて成り立っています。過去の資料や文献の研究だけでは、それを読んだ以上にイメージは膨らみませんが、現地を歩いて、聞き取り調査をすればする程、語る人によって印象は違う訳ですし、物語の生まれたその妖怪の現れそうな場所を実際に見て、そこに身を置くことで、イメージはさらに膨らみます。」

 

 市川さんからご提供頂いた、修士論文の一部、「活動先行型の無形博物館による無形文化資源の活用―徳島県三好市山城町」や、「文化資源学」第11号抜刷、「地域社会における妖怪観の形成と継承−−徳島県山城町の事例から」を拝読すると、当たり前の話だが、タダの妖怪オタクではなく、妖怪に多大な情熱を注ぎ、学問としての妖怪研究をしておられることがよくわかる。

 

 そんなこと、「キミの卒論のテーマはアカデミックぢゃないね。」と、ゼミの教授にご指摘を受けたヤツに言われる筋合いはないだろうが、その内容は妖怪オタクでなくても興味深い内容だったので、簡単にご紹介したい。

 

 民俗社会で語られる妖怪には民俗信仰や共同体の記憶と密接に関わったものも少なくないが、近年、社会の構造変化により、大衆化されたキャラクターが現代の妖怪観の大部分を占めているので、今日では、妖怪を考える上では、民族文化と大衆文化の両面から見なければならない、そうだ。なんのこっちゃ?だが、読み進めて頂くとそのココロがわかる。

 

 「幽霊」と「オバケ(妖怪)」の違いってご存知だろうか?

 

 柳田國夫さんが定義した「幽霊」と「オバケ(妖怪)」の比較によると、幽霊が場所に関係なく現れるのに対して、妖怪は出没する場所が決まっていること、幽霊が「これぞと思う者だけ」の前に現れるのに対して、妖怪は「むしろ平々凡々の多数に向かって」出現すること、幽霊が「丑三つの鐘が陰にこもって響く頃」に現れるのに対して、妖怪は「宵と暁の薄明り」によく出現すること、という三点が挙げられるそうだ。

 

 なるほど、確かに・・・。

 

 そこで、妖怪学の関心事として、妖怪が、地方によってどのような呼称を持ち、どのような特徴があるか、妖怪と場所の関係性や伝承の分布を定量的に研究すること、また、ある村や集落において、どれくらいの妖怪の種類が存在して、そこでの社会生活にどのような意義がある(あった)のか、特定の地方共同体を対象とする質的な研究をすることで、地域社会と妖怪伝承の関係を明らかにできる、とおっしゃっている。 

 

 で、妖怪が大衆文化すると、地域性が喪失するとおっしゃっているのだが・・・、

 

 妖怪の多くは、地域共同体の産物であり、無形文化であるとともに、視覚文化としての側面を持ち、中世の「百鬼夜行絵巻」をはじめ、くり返し造形化され、図像としても伝承されて来た歴史がある。

 

 1960年代から、漫画家の水木しげるさんが、それまでの民俗学的なイメージを踏襲しながらも、図像化されていない妖怪は独自の絵として創造し、マンガやアニメのキャラクター化をしたことで、大衆メディアを通じて反復して拡散され、一民間伝承に過ぎなかった妖怪の知名度を向上させるとともに、民族文化の大衆化によって、それぞれ独自に存在していたイメージが均質化され、地域性の喪失を促進した。

 

 んー、そーゆーことか、しかし、妖怪は完全に地域性を喪失した訳ではなく、地域資源としての妖怪を活用することで、民間伝承の価値の再生につながるらしい。

 

 例えば、

 

 柳田國夫さんの「遠野物語」で知られる岩手県遠野市は、数多く残る伝承民話を「ふるさとの象徴」、地域の遺産としてとらえ、1967年、「自然と心のふるさと」の博物館都市を目指し、今では、地域を代表する観光地となった「カッパ淵」等の整備を行なった。

 

 1988年、境港市では、「水木しげる=妖怪」という方向性が定められ、商店街にはマンガのキャラクター像を設置する「水木しげるロード」が整備された。マンガのキャラクターに依存しているため、伝承の活用というより、「コンテンツを活用したまちづくり」であるが、観光資源としての妖怪の可能性に光を当てたという点から、他地域に与えた影響は大きい。

 

 1998年、広島県三次市は、江戸時代に描かれた物怪退治録である「稲生物怪録(いのうもののけろく)」の舞台であり、水木しげるさんがそれをマンガ化した「木槌の誘い」(1998年)で注目を集め、「物怪(もののけ)プロジェクト三次」を始動し、「物怪まつり」等、「物怪」を独自の地域資源として活用している。

 

 なかでも、徳島県三好市山城町は、既存のコンテンツ(水木しげるさんが生み出したキャラクター)を出発点としながらも、地域密着型の妖怪文化を創造しつつある事例として、注目しておられるようだ。

 

 んー、それしても、近年の妖怪の大衆化に関しては、シロート目にも、水木しげるさんの存在が大きいよーだ。

 

 民間伝承としての妖怪は、その地域の環境・風土を背景にして形成され、山城町の場合は、山間部を流れる吉野川が侵蝕した渓谷が、今では大歩危・小歩危として観光名所になっているが、落石や土砂崩れ、川の氾濫等の自然災害を招いて来た険しい山々や深い谷といった地理的要因と平家落人や山の伝説等が残る歴史的要因から、数多くの妖怪伝説が伝承されてきた。

 

 その中でも、山城町が伝承の地である「こなきじじい=コナキヂヂ」は、地域固有の民俗文化の妖怪であり、マンガやアニメでキャラクター化されて、全国に知られる大衆文化化された妖怪である2面性を持っていて、これを軸に、論を進め、考察を加えておられる。

 

 「コナキヂヂ」は、1938年、柳田國夫さんの「妖怪名彙」等によって文字化され、今に伝えられているが、極めて個人的な体験に基づく伝承で、なんらかの信仰に基づく存在でもなく、地域(山城町)全体に浸透していた訳ではないので、戦後、「コナキヂヂ」という語彙さえも地域では途絶えていくのだが、それに取って代わるように水木しげるさんのマンガが誕生した。

 

 1966年、「週間少年マガジン」に掲載された「墓場の鬼太郎」のキャラクターとして登場する「こなきじじい」、「すなかけばばあ」、「一反もめん」、「ぬりかべ」は、全て、柳田國夫さんの「妖怪名彙」に採録されている妖怪を水木しげるさんが図像化したものだそうだ。

 

 当時の「週間少年マガジン」は、漫画雑誌としての成長期にあり、発行部数が100万部を超え、さらに、1968年には、「ゲゲゲの鬼太郎」として、アニメ化され、口頭伝承に代わり、大衆メディアによって、その名前とイメージが拡散し、全国の子供たちの脳裏に定着していったので、現在の「こなきじじい」像は、水木しげるさんによって創造されたものといえる。

 

 「伝説的・伝承的存在の妖怪が、描かれて妖怪画になると、その画かれた妖怪が、逆に妖怪に影響を与えて、その特質を決めていったりする」と、民俗学者の池田弥太郎さんが指摘しているそうだが、水木しげるさんの妖怪画は、その伝承地域の外側において、「こなきじじい」の特質を確定させ、それ以降に出版された妖怪図鑑の多くで、同種の伝承である「ゴギャナキ」、「オアンギャナキ」ではなく、「こなきじじい」の名称が選択されるようになったそうだ。

 

 こうして、一地域(山城町)で語られていた「後世に残るはずもない個人的な言説」であった「こなきじじい」が、既成事実としての形を得て、日本を代表する妖怪として認識されたが、一方で、妖怪伝承における地域性の喪失の過程を重ね合わせることができるだろう、とおっしゃっている。

 

 長い潜伏期間を経て、改めて、「コナキヂヂ」が山城地域で日の目を見るきっかけになったのは、郷土史家の調査によって、「コナキヂヂ」の伝承地が山城町の上名平(かみみょうたいら)集落であることが突き止められたからである。

 

 これを契機に、妖怪を活用した地域おこしが始まり、2001年、児啼爺像建立。2002年、妖怪街道(藤川街道)に木彫の妖怪像、案内板が設置され、藤川谷の「もみじ祭り」を「妖怪もみじ祭り」に名称変更。2008年、地域おこしボランティアの団体から発展して、「四国の秘境 山城・大歩危妖怪村」を設立。そして、2010年には、道の駅大歩危内に地域住民が手作りした妖怪人形等の展示施設「妖怪屋敷」がオープンした。

 

 2013年、これらの「山里に伝わる妖怪前説を核にしたちいきづくり」活動が評価され、「四国の秘境 山城・大歩危妖怪村」が、「サントリー地域文化賞」をサントリー文化財団から授与されたことを付記しておく。

 

 さらに、市川さんが地元の小学生を対象に実施した、妖怪名とその絵や説明を記入してもらう調査では、「こなきじじい」をはじめとする「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪だけでなく、地域伝承の妖怪もよく知っていて、その絵も地元の人たちが作った人形や着ぐるみのイメージに大きく影響されていることから、地域の「妖怪まつり」や「妖怪屋敷」等が、伝承の場として機能していることは確認できたが、元来、地域の伝承である「こなきじじい」の絵に関しては、完全に「ゲゲゲの鬼太郎」のマンガのイメージを踏襲しており、児童にも水木しげるさんが創作したイメージが定着していることがわかったという。

 

 そうなると、気になるのが、実際にこの地で伝承されて来た「こなきじじい」像ってどんなの?ってことだが、市川さんは、「コナキヂヂ」の伝承者にも、独自に聞き取り調査を行なっておられて、その伝承者の幼少期には、山々を渡り歩いていた山伏の格好の行者が、恐怖の対象としてあり、現れるとされた場所も共通していることから、どうも、その姿と「コナキヂヂ」を重ね合わせていたようである。

 

 現在の山城町には、キャラクター化された大衆文化としての妖怪と、個人の記憶の中にある民俗文化としての妖怪と少なくても2つの妖怪観が併存していて、地元の人たちの中には、観光のため、あるいは大衆化の過程でキャラクター化された妖怪に対する違和感を持つ人もいるようだ。

 

 山城町の場合、地域外で形成された妖怪のイメージが逆輸入された形だったが、妖怪伝承の発掘がきっかけとなり、改めて、地域資源としての妖怪に光が当てられ、地域性が回復しつつある。また、地域おこしに活用したことで、十分と言えないまでも、実質的な経済効果が認められ、その上、伝承の場が保たれ、地域住民の調査により、これまで文字化されてこなかった妖怪伝承も発掘されているという。

 

 市川さんは、民族文化としての妖怪は、伝承者の高齢化により、現状のままでは衰退していくのでは、という危機感を持ち、今後も、妖怪が生き残っていく方策として、まちづくり等に活用されることは、大衆文化と民俗文化としての2つの妖怪観が、ある程度混合されるのは免れないが、伝承される場や機会が生まれ、地域と地域文化と共に、次の世代に引き継いでいける可能性があること、また、両者の違いを認識して、かつて民俗学者が各地の伝承を収集した役割を地域住民が担うことで、地域性が復活し、地域固有の文化創造にもつながると期待を寄せ、その効果と実態を明らかにすることで、無形民俗文化財としての妖怪伝承の有効な活用方法が開発されるのではないか、と結んでおられる。

 

 また、実際の活用方法の開発、研究の場であると推察される、「NPO法人千住すみだ川が主催する『隅田川妖怪絵巻』でのプロジェクト進行を担当されたり、埼玉県川口市での「かわぐち妖怪ものがたり」他、各地で、妖怪に関するワークショップや講座を開いておられる。

 

−− どのようなワークショップなのですか?

 

 「ワークショップというと、日本では、『体験型講座』なのですが、博物館や美術館で、アーティストや学芸員が子供たちと創作活動を体験する試みとして広がったので、教育普及活動のように思われがちです。私は、一方通行的な知識や技術の伝達でなく、参加者が自ら参加・体験し、グループの相互作用の中で何かを学びあったり、創り出したりする、双方向的な学びと創造が本来のスタイルと考えていて、それぞれの活動を通じて、妖怪を考えたり、絵を描いたり、彫刻をつくったり、地図をつくったりという表現活動を参加者と一緒にしています。」

 「具体的には、怖い妖怪、おかしな妖怪、いろんな妖怪の物語が、あちらこちらの土地で言い伝えられてきましたが、地方の山奥だけではなく、目を凝らせば、町の中にも路地の裏通りや空き地の隅っことかに、まだ見ぬ妖怪が潜んでいるかもしれません。まずは、妖怪って何?から始めます。妖怪についてのレクチャーをして、知っているようで知らない妖怪のあれこれを学んでもらった上で、場所やものに対する感覚を研ぎ澄ましながら、まちの隙間などにある妖怪の痕跡をたどります。妖怪はコミュニティの産物なので、地域ならではの妖怪に思いをめぐらせ、その名前や特徴を考えます。考え出した妖怪をまとめて、展覧会などで発表して、妖怪を伝えるというワークショップです。『妖怪採集』とも呼んでいます。」

−− 「隅田川妖怪絵巻」というのは?

 

 「その町中での『妖怪採集』ワークショップの発展形で、地域の歴史などに向き合って、100年後まで語り継がれる妖怪を創ろうというプロジェクトです。具体的には、地図を持って妖怪を探しながら歩き、地元の人の話を聞いたり、参加者とあれこれ話し合いながら、その地域ならではの新しい妖怪を考えて地図に落とし込んでいきます。そのためには、観察力や想像力、言葉のセンスも研ぎすまさなければなりませんし、コミュニケーションも生まれます。そういう作業を繰り返すことで、町やその地域の風景も違って見えてくると思うんです。」

 

「大歩危と祖谷は隣接していますが、山や川を隔てて、それぞれによく似ていても異なる伝承が残っていますし、野鹿池山伝説を聞くと、野鹿池山の山頂付近は、今は湿地になっていますが、かつては野鹿池という池があったのではないか、と想像できますよね?このように、妖怪の伝説は、地域の過去の記憶も伝えているのです。」

 

 「隣り合った都会の地域でも、それぞれ違った表情を持っていて、そうした地域性に触発されながら、少しずつ新しい妖怪やそのキャラクターが生み出されつつあり、また、それは、地域の小さな記憶を伝えるメッセンジャーでもあると言えます。例えば、今は、埋め立てられてしまった池や川の記憶であったり、隅田川を通っていた渡し船の記憶であったり、あるいは再開発で失われたものの記憶であったり、そのひとつひとつは取るに足らない歴史かもしれませんが、地域を語る上では欠かすことのできない無形文化です。その一部を『隅田川妖怪絵巻MAP』の中で紹介していますが、実はこれらはまだ完全な『妖怪』ではなく、地域に住む多くの人々によって語られ、共有されて初めて、『真の妖怪』となることができます。もしかするとその中から、100年後の未来へと伝承されていく、妖怪が誕生するかもしれません。今、語られている妖怪もそうして語り継がれて来たのですから・・・。」

 

−− 夢のある話ですね。何となく、山城町でのフィールドワークや、読ませて頂いた研究論文とも関連性があり、妖怪の伝承は地域とその地域に暮らす人々の生活に密着したものですから、地域の歴史や風土の再発見という意味では都会でも地方でも使える新たな地域おこしのツールにもなりますね?

 

 「はい、妖怪というのは地域で語り継いできた物語なんです。このプロジェクトはこれからも続いて行くと思いますし、地域との関係に注目しながら地図を眺めてみると、妖怪の見え方も少し変わってくるかもしれません。そして、興味を持った人から妖怪伝承=地域と地域文化伝承の担い手になってもらえたら嬉しいですね。」

 

COREZO(コレゾ)賞・財団の趣旨をご説明して受賞をお願いしたところ、承諾して下さった。

 

COREZO (コレゾ)「妖怪は地域が語り継いで来た物語、妖怪採集やまちおこしへの活用で、歴史に向き合い、地域固有の文化を創造する、妖怪研究家である。

 

市川 寛也(いちかわ ひろや)さん関するお問い合わせは

(個人的なお問合せには、返答致しません)

 

メールで、info@corezo.org まで

 

COREZO (コレゾ)賞 事務局 (文責 平野龍平 最終取材2013.06. 編集更新2013.10.21.)

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