谷口栄司さん

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COREZO(コレゾ)「新婚早々に襲った試練を乗り越え、次世代の大歩危・祖谷を担う、おしどり夫婦」賞

谷口 栄司(たにぐち えいじ)さん

徳島県三好市西祖谷山村出身、在住

ホテルかずら橋 取締役専務

http://www.kazurabashi.co.jp/

大歩危・祖谷いってみる会 事務局長

http://www.oboke-iya.jp/

ジャンル

観光・地域振興

宿泊施設 経営




経歴・実績

      大阪の学校を卒業後、

      各地の宿泊施設を旅行会社に案内、営業する総合案内所に約6年間勤務

1999年 ホテルかずら橋 取締役専務 就任 


谷口 真理(たにぐち まり)さん

大阪府大阪市平野区出身

徳島県三好市西祖谷山村在住

ホテルかずら橋 若女将

 http://www.kazurabashi.co.jp/

ジャンル

観光・地域振興

宿泊施設 若女将




経歴・実績

      神戸の学校を卒業後、

      大阪の企業に営業事務で約5年勤務

1999年 ホテルかずら橋 取締役専務 谷口栄司氏と結婚

200?年 いつのまにやら 若女将 

      で、いつまで若女将?


 受賞者のご紹介

 谷口 栄司(たにぐち えいじ)さん・真理(まり)さんご夫妻は、父親の宏(ひろし)さんが創業し、経営する徳島県の景勝地「祖谷のかずら橋」にほど近い、「ホテルかずら橋」の専務と若女将である。

 栄司さんは、いうまでもなく、谷口家の御曹司さまであり、「ぷりんす」として、すくすく(ぬくぬく?)と勝手に育ってこられた。若女将(わかおかみん)の真理さんをこよなく愛する究極の愛妻家である。

 ホテルの実務は若女将と竹内支配人に任せて、毎日のように会合?に出掛け、人的ネットワークを拡げ、地域の活性化に尽力しておられる。

 「私に現場を押し付けて、会合、会合って、毎日、毎日、どこに行って、何してんの?」(若女将談)、「会合より、現場をもっと知らなあかんのとちゃう?」(支配人談)

 カミカミ王子と讃えられる程、司会進行役がお得意?なのに(最近、トレーニングを積まれてカミ王子に出世されている)、意外?と手先は器用で、大工仕事、PC、電気器具の配線・修理、重機の操作・・・、何でもござれ、「一家に一台(人)、ぷりんちゃん(栄司さん)」と言ってもよいぐらい役に立つ(若女将談)、そうだ。

 実際に栄司さんの運転するマイクロバスに乗せて頂いたことがあるが、どんなに狭い道路でも、完璧な車体感覚で見事に見切って、ススイのスイなのである。さすが祖谷の厳しい山間道路で鍛えてこられただけのことはあると感心した。

 一方、真理さんの方は、数年前の「大歩危・祖谷いってみる会」総会のフォーラムで全国の有名女将さん達と見事なトークを繰り広げ、シャベリが達者なところを披露した。

 お二人は、お互いが行きつけだった大阪の飲み屋のマスターの紹介で知り合った。

 「実家のホテルは継ぐけど、君はお客さんの前に出ることはないよ。実際、僕の母親は裏方だけで、表には出ていないし、あと5年は大阪にいるよ。」という栄司さんのええかげんな言葉を当時、純真無垢だった真理さんはうかつにも真に受けてしまった。 



 1999年2月、徳島市内随一のホテルにて、まるで父親の宏さんの結婚式のような盛大な華燭の典を挙げ、西祖谷地区随一の財力を誇るかのように3回のお色直しをした。お色直し中に徳島随一の「阿波踊り連(踊り手グループ)」による余興があって、それを見ることができなかったのが、唯一残念だったという。

 当分、大阪で甘い新婚生活を送るはずだったのだが、そのわずか4ヶ月後の1999年6月、実家の「ホテルかずら橋」が大雨の土石流災害に見舞われた。ニュース報道で知ったが、電話は繋がらない。取る物も取り敢えず、実家に向かった。5階建てのホテルが2階まで土砂で埋まっていた。あまりの惨状にその場に立ちすくんだ。言葉も出なかった。父、宏さんも途方に暮れていた。

 「ホテルかずら橋」は、ホテル業は全くの素人だった宏さんが、かずら橋に団体旅行客を運ぶ観光バスを見て、「祖谷の地域を振興するには観光しかない。」と一念発起し、「自分の孫子や、あんたらの孫子が地元で働いて、生活が出来るような事業に必ずする。」と、何人もの地元の地主さんを説得して、用地を取得し、融資を取り付け、1988年の瀬戸大橋開通に間に合わせて開業した。慣れない旅行業界の会合等へ営業に駆け回り、売上も順調に推移していた時期の惨事だった。

 栄司さんは、社長である父から、「復興するには莫大な費用がかかる。継ぐ気がないのなら、このまま廃業する。」と重い決断を迫られた。

 「子供の頃から、このホテルを継ぐこと以外、考えたこともない。」と、妻の真理さんには何の断りもなく、勝手に即答した。すぐに大阪の勤務先を退職し、住居を引き払い、夫婦で戻って来た。



毎朝、弁当を作り、つなぎの作業着を着て、連日、家族総出で、土砂の撤去作業をした。真理さんは、主に力仕事担当で、一輪車で土砂を運び、ウィンチで倒木を取り除いたり、削岩機を使うこともあった。泥まみれで働いた。田舎の生活に馴染むもヘチマもタヌキもそんなことを考えているヒマもなかった。意外に重機の運転が上手い栄司さんのワイルドな姿に二度惚れしてしまいそうになったことも・・・、特になかった。

 復旧作業には、家族や従業員だけでなく、近隣の人々も手伝って下さった。土石流対策の砂防ダム工事の為に、山林の所有者の皆さんが土地を無料で提供して下さった。涙が出る程嬉しかったという。

 半年掛かって、撤去作業は終了し、施設の復旧工事とケーブルカー及び、露天風呂の新設工事が始まった。再オープンの日程は決まったが、工事が追いつかない。予約の電話も受け始めた。

 2000年5月、何とか再オープンに漕ぎ着けた。しかし、人手が足りない。真理さんは、いつの間にやら、なし崩し的に制服を着てフロントに立っていた。

 「『君はお客さんの前に出ることはない。』ちゅーたんはどこのどいつや!?」

 栄司さんの総合案内所時代の仲間や営業先の旅行会社の皆さんが応援して、送客してくれた。有難かった。客足は徐々に回復していった。

 そのうちに、真理さんは社長の宏さんから古びた1本のカセットテープを渡され、3日で覚えて歌うように言われた。祖谷の民謡が入っていた。「何ですかこれは?お客様の前で唄うなんてできません。」とはっきりと断ったが、社長は一歩も引かず、反対に「あんたがせんといかん。」ときっぱり押し切られた。

 3日後、またもやなし崩し的に、お客さまの前に立って祖谷の民謡を歌っていた。「若女将」と紹介され、「えっ、何それ?」と思ったが、時既に遅しで、「んーっ、ま、しゃーないか」と諦めざるをえなかった。それが晴れの「若女将」デビューだった。大阪から秘境に嫁いで、気が付いたら、いつの間にやら若女将だったのである。

 その2年後、お子さんを身ごもり、ご自身の強い意志で産休育休に入り、頑なに育児に専念した。そして、2人目のお子さんに手が掛からなくなった2010年に若女将に復帰した。

 以前は、目の前の自分の仕事に必死で、他には何も見えなかったが、復帰後は、母親になったからか、見えるもの、気がつくことが増えた。変な自覚が芽生えたのかもしれない。今更ながら、結局、周りの口車に乗せられて、五月雨式にこうなってしまったことには少し腹は立つが、最近では、お客様を癒したいと嵯峨御流のお花も自分から習い始め、周りの山々に咲いている野草や花木を館内や客室に生けたり、接客をしていると、「私って、結構、この仕事、向いてるやん。」と思うこともあるそうだ。

 真理さんは、地域活性化団体、「大歩危・祖谷いってみる会」会員の宿泊施設では、唯一の若女将である(他の宿泊施設は女将職を置いていない)。大歩危・祖谷の観光従事者を対象にしたある調査事業の訪問客に対するアンケート調査で、「また会いに訪れたい人」No.1に選ばれた。

 温泉観光地=女将というイメージだけでなく、気さくで、親しみやすいお人柄がその最大の理由だと思うが、観光地には女将の視点や女性の目線が必要で、「ホテルかずら橋」だけでなく、「大歩危・祖谷いってみる会」でも、日増しにその存在が大きくなっているのは間違いない。

 真理さんのFacebookを拝見すると、若女将として、二児の母としての日常が実にほのぼのとした語り口で綴られている。従業員の皆さんとのやり取りからも、慕われておられることが伝わってくる。

 「私どものホテルでは、お客様から『田舎のおばあちゃんの家に帰って来たみたい。』とよく言って頂きます。素朴ですが、それが当地の魅力でもあり、スタッフも地元出身者が中心で、庶民的で心地良い接客サービスを心掛けています。」

 「大阪から嫁いで暮らしてみると、この祖谷は何となくほっと安らげるところだなあと感じています。そんないいところ、いい人情をお客様にもお伝えしたいと思っています。私どものホテルをご利用頂くお客様だけでなく、この大歩危・祖谷にお越し下さった皆さんにも感じて頂けるよう主人や皆さんと一緒に取り組んでいきたいですね。」と、真理さん。

 栄司さんは、ホテルが再オープンした2000年の10月に発足した「大歩危・祖谷いってみる会」の事務局を担当している。その実務を通じて、地域とのつながりの大切さを再認識したという。地道な活動の成果が実って、2008年に観光庁の観光圏整備事業が始まると、国の事業からもお声が掛かるようになった。 

 「僕は、生まれ育ったこの祖谷が大好きで、父と同じように、自分たちの子供たちがこの地で暮らせるよう、僕たちの世代ができることをできるだけやろうと思っています。今は『大歩危・祖谷いってみる会』の事務局長を務めさせてもらっていて、この『大歩危・祖谷』地域全体の魅力をどう高めて、どう集客に繋げるかを考え、取り組んでいます。毎日が勉強で、しょっちゅう失敗していて、何が失敗なのかもわからなくなることもありますが、とにかくがむしゃらに、前に向かって進むことにしています。おかげでいろいろな方々とのご縁ができ、この大歩危・祖谷が話題になって、地域の訪問人口が増えれば、当ホテルの集客にも繋がることも実感しています。」

 「少しだけ当ホテルの宣伝をさせて頂くと、自慢は天空露天風呂と地元の食材、郷土料理にこだわった食事、素朴な接客サービスです。特に、食事は生まれてからずーっと、ほぼホテルと同じものを食べ続けていますが、しみじみとおいしくて、食べ飽きることがありません。周囲の急峻な山々にしがみつくように建っている家々の風景をご覧になられて、当地の昔の暮らしを偲んだり、風土を感じて頂ければ嬉しいです。祖谷が好き、ひとが好き、お客さまにお会いするのが大好きな僕にいつでもお声掛け下さい。」と、栄司さん。

 「ちょっと、待ちっ、どの口がゆーとんねん!」と、大阪出身の真理さんから鋭いツッコミが入ると、とっても亭主関白なぷりんす栄司さんは、「あっ、ちょっと用事思い出した。」と、ニヒルな苦笑いを残して、その場を離れられた。

 何事もなかったかのように、いつも飄々としてソフトクリームが大好物の栄司さんといつも大阪人らしく笑いを忘れない真理さんのお二人に、新婚早々、災害という厳しい試練が襲いかかり、力を合わせてそれを乗り越えて来られたとは思いもしなかった。過疎・高齢化が進む大歩危・祖谷で働き、次の世代のお子さんを育てている貴重な若夫婦であり、地域の次世代のリーダーとしても大きな期待がかかっている。

 コレゾ財団・賞の趣旨をご説明し、ご夫妻での受賞をお願いしたところ、

 「えっ?それは何か裏があるでしょ?見返りに何をさせられるんですか?」と、お二人。

 「他意は何もありません。毒を食らわばなんとかってね、勝手に何かして頂くのはご自由ですよ。」とお応えすると、

 「この先、どうなるかわかりませんが、めおと関係は何とか表彰式までは持ちこたえるように努力します。」と、渋々、承諾して頂いた。


 COREZO(コレゾ)「新婚早々に襲った試練を乗り越え、次世代の大歩危・祖谷を担う、おしどり夫婦」である。


谷口 栄司(たにぐち えいじ)さん・真理(まり)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。


COREZO(コレゾ)賞 事務局 (最終取材2012.09.編集更新2012.11.02.文責 平野龍平)

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