杉本真也さん


COREZO
(コレゾ)「5年後に商売しよると思う?若きゃもんと親世代が危機感を共有して
、キャッチボールができた商店街の快進撃」賞
杉本  真也(すぎもと しんや)さん

熊本県阿蘇市出身、在住

株式会社阿蘇とり宮 代表
阿蘇一の宮門前町商店街 若きゃもん会 代表

ジャンル

観光地域振興

商店街振興

食・精肉・惣菜

経歴・実績

1963年熊本県阿蘇市(旧一の宮町)生まれ

県立阿蘇中央高校(旧阿蘇農業高校)卒業後、大手外食チェーンに勤務

1999年 家業の精肉店「阿蘇とり宮」を継ぐ

2001年 商店街の2代目を中心とした「若きゃもん会」を結成、代表に就任

受賞者のご紹介

 2005年、ある観光地域振興事業で、阿蘇地域がその対象地域になり、当時、財団法人阿蘇地域振興デザインセンター(以下、阿蘇DC)の事務局長をされていた坂元 英俊(さかもと ひでとし)さんに、最初にご案内頂いたのが、阿蘇一の宮門前町商店街で、その若きゃもん会の杉本 真也(すぎもと しんや)さんと宮本 博史(みやもと ひろふみ)さんをご紹介頂いた。

 杉本さんは精肉店「阿蘇とり宮」の二代目、宮本さんは食事処「阿蘇はなびし」の二代目。お二人は名コンビでその事業終了後も折にふれ、お付き合いを頂いている。

 「阿蘇とり宮」の「馬ロッケ」と「畑のメンチカツ」、「阿蘇はなびし」の「田舎いなり」を昼食に頂き、こちらも宮本さんが経営する「旧緒方屋」で「水出しコーヒー」をご馳走にながら話を伺ったのを覚えている。

 「馬ロッケ」は甘辛く煮込んだ熊本名産の馬肉をじゃがいもで包んだコロッケ。「畑のメンチカツ」はおからとキャベツがたっぷり入った地鶏のメンチカツ。どちらも注文を聞いてから揚げたてを食べさせてくれるので、熱々で、外はサクサク、中はほっくり、ジューシーで、メチャうま。味付けにも工夫をされているようで、記憶に残るうまさだ。「阿蘇はなびし」の「田舎いなり」はとにかくデカイ。ちょっと甘めのおあげさんに野菜たっぷりの五目飯が詰まっている。野良仕事に持って行った特大いなりがその原形らしい。

 この阿蘇一の宮門前町商店街は、熊本県阿蘇市の阿蘇神社の門前通りに、35軒ほどの商店が軒を連ねる全長約200mの小さな商店街だが、昭和40年代には、旧一の宮町で最も活気のある通りだったそうだ。阿蘇神社の農耕祭事が重なると、参道から商店街まで人が溢れて大騒ぎだったという。

 車が普及して、近所に大きなスーパーが出来ると、客足は遠のいていった。今やどこの町や都市の商店街にも当てはまる話だ。

 初めて訪れた当時は、水基(水が出る基・水飲み場)や植栽の整備が進行中で、まだ今のような賑わいはなかったが、お二人には、「商店街を何とかするんだ」という気概がみなぎっているのを感じた。

 一番印象に残っているのは、10数年前、いつものように商店街の通りでキャッチボールをしていた時に、


 「オイ、このゴールデンウィークの真っ最中にキャッチボールが出来るほど、誰も人が通らんぞ。」
 「これから5年後にここで商売しとると思う?5年後に住んどるとおもう?」

 「自分らの子供に継ぐどころか、こりゃあ、自分らの代ももたんぞ。自分ら若もんがこの商店街とこの町をどないかせんとイカン!」という声が上がったという話。

 2001年、商店街の後継者10人が集まり「若きゃもん会」を結成した。まずは商店街に人を呼ぼうということになり、昔の賑わっていた頃の記憶を辿り、子供の頃、一番楽しかった夏の商店街の祭り、「金曜夜市」をやろうということになった。

 そして、2002年1月から、「金曜夜市」の再開に向けて準備を始めたが、予算がない。そこで「仲町なんばーず」という抽選会を考えた。まず、必要経費をメンバーで頭割りして、10枚1組1000円の抽選券の割当枚数をメンバーが買い取る。売れ残れば赤字が出るのでみんな必死で販売して、ガソリン1000L券や韓国旅行、大型テレビ、現金10万円等、豪華景品を用意した。「ケーキ早食いバトル」等、自分たちのできる企画を考え、工夫して、半年後の7月に実施すると、1000人が集まるほどの大盛況。

 終了後、次回の準備を始め、翌年には1500人集客し、今では恒例行事となって、7月と8月の年2回開催している。

 こうして「金曜夜市」は成功を収め、「やればできる」という自信と達成感、一体感を味わったが、イベントが終わると、商店街はもと通り。平日は商店街にあった2軒の金融機関に来たお客さんがついでに少しは買物をして下さるものの、休日は閑散としたもの。準備に何ヵ月もかけて、1日だけの集客ではなく、毎日足を運んでもらえるように次の手を打たなければならない。

 そんな時、坂元さんが、財団法人阿蘇地域振興デザインセンターの事務局長に就任した。他に頼れる人もおらず、地域振興のノウハウも持っておられるようなので、2002年度から若きゃもん会の勉強会の講師になってもらった。

 「商店街復興の考え方、方針をどうするか?」

 「阿蘇神社には人が来るのに、どうすれば商店街に来てもらえるか?」

 「30分間滞在できる商店街にするにはどうすればよいか?」

 次々に課題が出てきて、みんなで真剣に考えた。その内に、阿蘇地域で循環バスを走らせる実証実験の計画も浮かんできた。

 「利益の上がるものではなく、お客様が求めている商品を販売する。」

 「何でもかんでも売るのではなく、一押し、目玉商品をつくる。」

 「看板商品があれば、それを目指してお客さんは来て下さる。」

 「食べ物が一番わかりやすい。おいしくて、こだわりのある商品」

 「新しい商品を作るのか?既存の商品を良くするのか?」

 「他の店にも立ち寄ってもらえるように手に持って歩ける商品」

 「食べ歩きが出来れば、滞在時間が増える。」

「滞在が30分から1時間に延びれば、食事もしてもらえるようになる。」

 と、次第にやるべきことが見えてきて、まずは、商店街の看板商品を「阿蘇とり宮」の「馬ロッケ」、「阿蘇はなびし」の「田舎いなり」、洋菓子店「たのや」の「たのシュー(小振りのシュークリーム)」の3商品に絞り込み、それぞれ、食べ歩きが出来るようにパッケージを工夫した。

 「地元の人が知らないところに、観光客も来んやろ?」

 当時、若きゃもん会の活動拠点は、宮本さんの「旧緒方屋」だった。商店街の入口近くにある築90年を超える古民家。持ち主が町に寄付しようとしたが、話がまとまらず、商店会に話がまわってきて、結局、宮本さんが個人で買い取った。床が落ちて畳も腐っていたが、自分たちで改修、館内に町の古い写真を展示してギャラリーにした(現在はカフェや雑貨も扱う複合施設になっている)。

 古い写真は商店街の先代の親父さんたちやじいちゃん、ばあちゃんたちが持ち寄ってくれた。誰もが気軽に立ち寄って休憩したり、おしゃべりしたり、そんなコミュニティーセンターの要素を持ち合わせた町の拠点とするのが目的だった。昔の写真を見たお年寄りが当時の話をしたり、若者は自分たちの知らない時代のことを学ぶこともできる。

 「観光客がまず旧緒方屋に立ち寄って、情報を仕入れ、町めぐりして、帰りにも寄ってもらえるようにしたかった。『旧緒方屋に行ったら何かある』と言われるような、一の宮町の情報発信の核にしようと思った。」と、宮本さん。

 循環バスの実証実験の際には、先代の親父さんたちが作ってくれた昔懐かしい「たかんぽ(竹水筒)」を「フォトギャラリー」で販売して、商店街の3つの看板商品と共に訪れた観光客に好評だった。


 これで機が熟したとみた阿蘇DCの坂元さんは知り合いのマスコミに売り込み、情報番組のTV取材が入った。放送された当日、普段、300個ぐらいだった「馬ロッケ」が500売れた。翌日は1000個・・・。

 「とにかく、お客様が来て下さるのが嬉しかった。TV番組の威力はスゴイと思いましたね。でも、1週間もすればホトボリも冷めるだろうと思っていたら、雑誌やTVの取材が次々に入るようになって、多くの人々に見られるようになり、商品を買いに来て下さる人が増えると、きれいに掃除したり、店舗を改装して良くしたりするようになりました。人が来る→きれいにする→ほめられる→さらにがんばるといういい循環に大きく流れが変わり始めました。」

 「ピークに達した危機感を自分たちの世代が共有したのが大きかったのですが、先代の親父たちの世代が下地を作ってくれていたんですよ。」と、杉本さん。

 商店街では10数年前まで、景品に花の小鉢を配る「花祭り」という大した効果の上がっていない販促イベントをしていた。「たとえ年に1回でも来て下さるお客様に喜んで頂けるよう桜を植えよう。町並みの景観が良くなるし、夏には木陰も出来る。」と言い出し、賛同者と共に商店主や地主に説得してまわり、自費で植樹を始めた。

 桜は虫がつき、病気に犯されやすく、落ち葉の処理等、問題は山積みだったが、やがて、市の補助が付いたり、「花祭り」を止めて桜の維持管理に充てようという動きも出てきて、毎年、きれいな花を咲かせているそうだ。

 2009年3月には別の親父さんが「桜も大きくなったし、この桜を活かした『花祭り』をしたらいいぞ。」と言い出した。「それなら花見だ。」と、若きゃもん会は、またもや予算のない中、あの手この手で畳を集め、商店街の通りに200枚以上敷いて、「商店街でお花見!」と名付けたオールフリーの花見大会を開いて大盛況。

 「桜も最初は誰が落ち葉を掃除するかで揉め事も絶えなかったのですが、商店街に来られたお客様から、桜がきれいですね、きれいな商店街ですね、と言われ続けると褒められるのが嫌な人間はいないみたいで、誰も苦情を言わなくなりましたね。」と、杉本さん。

 さらに、2011年からは、「旅する蚤の市、in阿蘇」なる骨董・露天市を企画、すでに通算3回開催し、毎回2万人を超す集客をしている。これまでとは違う層のお客様も訪れて下さって、商店主たちの大きな刺激になっているという。

 「ウチ(とり宮)に公衆トイレと囲炉裏(暖炉)ある休憩所を設置する時には、引き受けた大工さんが『中途半端なものは作らん』と気合いを入れて作ってくれました。それなりの費用はかかりましたがね、ハハハハ。桜をはじめとする植栽整備や看板商品がどこにあるかわかるようにと看板の整備、水基の通りへの移設等は、親父さんたちの世代が率先して、景観整備やハードの部分を担ってくれました。若きゃもん世代はイベントの企画、開催等のソフトの部分を担い、自分たちができることを自分たちでやることで、うまく世代間も連携し、それが実ってきたんだと思います。」

 「商店街は、毎日、買物にお越し頂く地元のお客様で成り立っています。観光客に特化した商店街振興ではなく、地元の皆さんに愛され、自慢して頂ける商店街にしないと観光客の皆さんにも魅力はないと思っています。」

 「2012年7月に阿蘇を豪雨災害が襲いました。私は消防団員なので、夜中、商店街裏の川の見回りに行くと、行きはまだ良かったのですが、戻るときは腰まで水が漬いていたぐらいのとんでもない雨量で、国道57号線、やまなみ道、JRも寸断され、風評被害もあって、観光客の客足が大きく遠のきました。そんな時、子供のサッカークラブに「馬ロッケ」やウチの商品を差入れしたら、翌日、『子供がおいしかったというので買いに来ました。』というお母さんがいらっしゃって、ハッとしました。ちょっと有名になったおかげで、来て下さるのが当たり前のようになってしまって、見えているお客様だけ見ていただけで、周りにもまだ見えていないお客様がたくさんいらっしゃるんですね。足元をちゃんと固めなければと反省しました。」

 「ここ数年、ウチの商売は、卸売りの売上、利益とも急速に下落しています。競争の激化で、私たちの仕入れ先が卸にまで進出していて、価格競争しても勝ち目はない訳です。ならば、自分たちの土俵である小売りや惣菜販売で勝負をしようと、最近、地元の病院勤務の皆さんをターゲットに、勤務帰りにわざわざ店舗に立ち寄って頂く手間を省くケータリングを始めました。これが結構好評で、さらに販路を拡げて行きたいと考えています。」

 「若きゃもん会で何をして来たのかと改めて尋ねられても、毎日が戦いの連続で、めまぐるしく変化をして来たのでよく覚えていませんが、わからなくなれば原点に戻ることにしています。最近は、子供さん連れのお客様に背もたれのあるベンチや日傘が通りにあればいいなと考えています。どうやってお客様に訪れてもらうかより、どうすれば、お客様に喜んで頂けるかを日々考えてが実行することが大切ですね。」

 「私たちは、由布院のまちづくりをして来られた中谷健太郎さん溝口薫平さんたちに憧れ、手本に思ってきました。何もない商店街で戦おうとしていた時に、阿蘇DCの坂元さんに出会えたことも幸運だったと思います。坂元さんは物事の本質しか言わない方なので、自分たちで考えて行動することを学び、実践することが出来ました。戦うこともしないで権利を主張することは出来ません。権利を勝ち取ると責任が生まれます。今後は地元の雇用を増やしたいですね。それこそが、地域に最大の経済効果をもたらします。これからも自分たちの子供たちがこの町で誇りを持って暮らしていけるような地域づくりに取り組んでいきます。」と、杉本さん。

 初めてお目に掛かった頃から比べると、「馬ロッケ」長者としての風格まで漂い始めた杉本さんにコレゾ賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、ご快諾下さった。

 COREZO(コレゾ)「5年後に商売しよると思う?若きゃもんと親世代が危機感を共有して、キャッチボールができた商店街の快進撃」だ。


杉本 真也(すぎもと しんや)さんに関するお問い合わせは、

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。


COREZO(コレゾ)賞 事務局 (最終取材2012.09.編集更新2012.11.02.文責 平野龍平)
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