神藤 洋さん


COREZO
(コレゾ)「古き良き時代の旅行屋の心意気、ホスピタリティの塊のような海外添乗のプロ中のプロ」賞

神藤 洋(しんどう ひろし)さん 

東京都出身、神奈川県在住

ツアーディレクター

海外添乗のプロフェッショナル

 

ジャンル

観光・旅行

ツアーディレクター

専任海外添乗員




経歴・実績

東京(の方の)大学を卒業後、タイ等で父親の貿易関係の仕事を手伝い、国際感覚を養う

1977年 海外添乗員として近畿日本ツーリスト(株)入社 国際業務部添乗サービスセンター勤務

1996年 (株)ツーリストサービスに出向、転籍

1999年 (株)ツーリストエキスパーツに移籍

 

添乗日数はピーク時には年間300日以上、添乗国数50カ国以上

 

受賞者のご紹介

  神藤 洋(しんどう ひろし)さんは海外添乗のプロ中のプロ。添乗のモットーは一期一会、お客様の旅先での夢や想いを叶えるお手伝いをすることである。ツアーディレクターとして、添乗日数はピーク時には年間300日以上で、ヨーロッパ・アメリカを中心に50カ国以上(主な国ではブラジルには訪れたことがないとのこと)にお客様を案内した。個人的なおすすめはペルー・マチュピチュ等の古代遺跡を巡る旅だそうだ。

 1980年に生まれて初めて海外旅行をした。約3週間、バスでアメリカ中西部を巡る海外学生ツアーの添乗員が神藤さんだった。

 1976年には雑誌「ポパイ」が創刊され、イーグルスのホテルカリフォルニアが大ヒットして、日本の若者の間では米国ウエストコーストブームが巻き起こった。1978年には成田空港が開港し、海外渡航者数が増え、学生の海外ホームステイや就職情報企業が企画する海外学生ツアーが流行り始めた。いよいよ一般の学生や若者が海外旅行をする時代になった。

 1977年に海外ツアーディレクターになった神藤さんは、団体ツアー、パッケージツアーと大忙しで、既に海外学生ツアーにも既に何本か添乗されていた。当時、開港してまだ2年目の成田空港から、その頃は世界一の航空会社だった今はなきパンナムで米国へ旅立った。

 神藤さんは、バリバリの東京弁?で、関西文化圏で生まれ育った人間には話し辛かったが、旅先で見たいこと、やりたいことが山ほどあったので、必要最低限しか無かった小遣いを有効活用する為にも、積極的にお付き合いさせてもらうことにした。

 バスで毎日1000km近く移動するというハードな旅程で、バスには冷蔵庫もなく、何せ、何百キロと何もない荒野、砂漠を走行するのである。親がかりで来ているお坊ちゃま、お嬢ちゃまからは不平不満が出始めていた。


 そこで思いついたのが、バス車内で冷たい飲み物を販売すること。神藤さんに相談すると、「それ、いいね。オレはできないからさ、キミがやってみたら。」ということで、スーパーに立ち寄ってもらって、大きなクーラーボックスと飲物やオレンジをスーパーで買い込み、氷はどこの宿泊ホテルにもある巨大なアイスディスペンサーで調達した。

 連日、飲料は飛ぶように売れた。こちらは小遣い稼ぎができて、ツアー参加者の不満を解消し、結束も高まった。いつの間にか神藤さんの術中にハメられて、ツアー参加者のまとめ役をさせられていた。この手口は後に、自分が添乗をするようになった時に非常に役立つことになるのである。

  そして、米国本土最終目的地、ロスアンゼルスのフリータイムでは、大リーグ観戦、開業100年の老舗のステーキレストラン、UCLA、バークリー、ライブハウス、・・・、と自分のやりたかったことは全てオプショナルツアーで参加希望者を募って実現してもらった。

 神藤さんは音楽には特に興味がなく、米国どころか、日本のライブハウスにも行ったこともなかったそうだが、雑誌の切り抜きの店の電話番号が間違っていて、ホテルのフロントで尋ねてもよくわからなかったので、電話帳で店を探し、行き方を確認して下さった。

 店は、ダウンタウンの繁華街ではない、観光客が立ち寄らないようなへんぴなところにあった。ツアーで仲良くなった数名と、何かトラブルがあっては困ると神藤さんも同行して下さった。ライブが終わって外に出ると、真っ暗で人通りもなく、店にタクシーを呼んでもらってホテルに帰った。携帯もない時代、添乗員は頼もしい存在だった。

 今ではネットが発達して情報が溢れているし、自分の経験や知識で何とかできると思うが、当時、ヘタクソな英語が通じない、右も左もわからない、見知らぬ土地で、雑誌の切抜き片手に、自分のやりたかったことを全て実現できたのは、面倒見のよい添乗員さんのおかげであった。

 食事は3食ともついていなかったので、神藤さんやツアー参加者と一緒に食べに出掛けていたのだが、牛肉が輸入自由化される前で、ステーキが驚く程安く、毎食、ステーキばかり食べていたら、「よく飽きないね、最後までステーキを食べ通したら、美味いステーキ奢ってやるよ。」と言われて、最終訪問地のホノルルで、最高級のステーキを御馳走になった。


 成田での解散式の後、「東京に来ることがあれば連絡して。」と自宅の電話番号を渡された。その後、東京が本社の企業に就職が内定し、連絡すると、ご自宅に泊めて頂くことになった。ツアーで仲良くなった参加者たちともその後何年間かは交流があったが、30年以上、お付き合いが続いているのは神藤さんだけである。

 実は、添乗員付のツアーに参加したのはこれが最初で最後になった。その理由は、在学中から世界を駆け巡る仕事に就きたかったのだが、国内学生ツアーのアルバイトをしていたぐらいの経験しかなかったのに、どういうご縁か旅行業に転職して、添乗する側になったのである。神藤さんに出会った影響も多少あったのではないかと思う。

 転職して間もない頃、一見のお客様から香港旅行の見積依頼が入った。何せ、海外は神藤さんに添乗してもらった米国しか行ったことがないのである。当時の上司に相談すると、「行ったこともないところを何度も行ってるように見せるのが旅行屋なんだよ。」と、突き放されてしまった。

 仕方なく、神藤さんに相談すると、親身に教えて下さった。以来、行ったことのない海外の仕事が入る度に、教えを乞うことになる。その数年後には、ヨーロッパと米国の大きな団体ツアーを受注した。ヨーロッパには添乗は勿論、プライベートでも行ったこともなく、社内にも経験者がいなかった。そこで、また、神藤さんに相談して、所属していた旅行会社とも交渉し、下見、旅程の作成、添乗まで全面的に協力して頂くことになった。何と、今度は仕事とはいえ、10年の時を経て、また一緒に旅をすることになったのである。

 現地で下見をして、旅程の打合せをしていると、観光の他に、チューリッヒで見つけた韓国焼肉店での宴会やセーヌ川の遊覧船を屋形船に見立てて、日本食の職人を呼んでの焼き鳥パーティー等、次々におもしろいアイデアを思いついて、そのツアーに盛り込んだ。ツアー参加者の皆さんには喜んで頂き、ツアーは成功を収めた。

  添乗も何本か一緒にさせてもらったのだが、上司や先輩社員から添乗のノウハウも教わったこともなく、添乗の研修も受けておらず、旅行業務の一環として全て我流でやってきたので、10年ぶりにツアーでご一緒した大先輩のプロの添乗員から学ぶことは非常に多かった。客の目で見るのと多少なりとも実務を経験してきた同業者の目から見るのでは大違いだった。

 


 旅程を杓子定規にきっちり守り、語学が達者で、現地経験や知識が豊富、ガイドブックや辞書を何冊も添乗バッグに持ち歩いて、お客様の質問には何でもお応えするような添乗員とは全く正反対のスタイルだった。

 「えっ?そんな英語で通じるんですか?」的な英語を駆使して、何でも現地手配、調達。良い意味での現場第一主義。経験と現地の人たちとのネットワークがモノを言う世界であるが、無ければ、無いで、場所もモノも必要な人も探して来るというスゴい荒技を持っておられる。本当に困った事態になった時に最も頼もしいのは神藤さんのような添乗員なのである。

 一緒に添乗をしていて感心したのは、お客様からのどんな無理難題でも、要望を叶えようと奔走して、何とかしてしまうこと。自分に興味がなくても、自分の得意分野でなくとも、お客さんと一緒に楽しんでしまうこと。そんな10年前に自分自身がしてもらったことをずっと続けておられることだった。

 その数年後、プライベートで訪れたスイスのインターラーケンで、添乗中の神藤さんに偶然出会った。以前、添乗中に一緒に食べたパキスタン人が営っているそば屋に行き、二人の奇縁に祝杯をあげた。

 その後も、機会ある毎に、親交を深めているが、一緒に行った30年以上前の米国ツアー、15年以上前のヨーロッパツアーのことが今でも話題になる。嬉しいことに、あれだけ多くの添乗をして来られても、ひときわ印象に残っているそうだ。こちらも25年以上、旅行・観光業を生業として来たが、もちろん同じである。だからこそ、神藤さんのような添乗員と一緒に行く旅の楽しさを1人でも多くの方々に知って頂きたいと思うのである。

 団体旅行が主流で無くなり、簡単にネットで情報が手に入るようになって、旅行会社の現状は非常に厳しい。神藤さんのかつての所属会社も厳しい経営が続いているそうだ。実は、正社員だった神藤さんたちのような専属の添乗員もリストラに遭って、一旦、退職し、契約社員になったそうだ。固定給はなく、添乗の仕事をした時に日当と手当が支払われるしくみで、他の仕事もやっていいそうだ。

 添乗時の仕事ぶりからご想像頂けるように、ホスピタリティの非常に高い方なので被介護者の皆さんからも慕われて、それなりにやりがいも感じておられるようだが、「もう現役で現場に出て働ける時間はそんなに残っていない。お金儲けはどうでもいいから、プロの添乗員として、お客さんを喜ばせたい。自分がやってきた仕事の集大成として、君と一緒に行ったようなツアーを1本でも多く残したい。」また、「介護施設の仕事をしてわかったことだが、介護が必要な方々も、施設に居るばかりではなく、可能であれば、旅行にも出掛けたいと願っておられる。介護施設とタイアップして、介護が必要な方々も、喜んでもらえるようなツアーを手掛けたい。」とおっしゃる。

 しかし、神藤さんのお話しでは、今では添乗日当の額は経験の多少ではほとんど変わらないそうだが、神藤さんのようなベテラン程、年々、仕事が廻って来ないそうである。添乗の仕事を優先するという条件で、普段は介護施設のデイケアの送迎や介護補助の仕事をパートタイムでしておられる。実に、もったいない話である。

 旅行会社の不振の原因はこういうところにもあるのではないだろうか?効率化を図って、営業、企画、仕入れも添乗も別の組織、人がするようになった。旅の最大の楽しみのひとつは人との出会いと交流であるのに、専属の添乗員の資質をしっかり見極めて添乗員という人財を売ることをして来なかった。添乗員も一種のタレントであり、お客様を楽しませ、喜ばせるという意味ではエンターテイナーでもあり、そのお客様のご要望に合う人財に添乗させるのが商売である。

 客を観光地から観光地に効率的に移動させることがビジネスになり、利益率を上げることにしのぎを削るばかりで、人財を活かすことをして来なかった結果、感動を提供することはできなくなり、価格競争をして自分達で自分達の首を絞めているように思う。

 昨今、航空機内や公共交通機関でよく見かける自分と自分のツアーのことしか考えていない今どきの派遣添乗員がお客さんを楽しませて、万一の時の危機管理ができるのか甚だ疑問である。

  2012年夏、久しぶりに連絡すると、「今までとは別の旅行会社の仕事で海外添乗中なので、帰国したら改めて連絡する。」とのメールが返ってきた。何か身辺に変化があったようなので、お互いのスケジュールを調整して、約2年振りに東京でお目に掛かった。

 以前の会社の添乗員仲間から誘われて、添乗員派遣会社の面接を受けたところ、すぐに採用が決まり、「月に1ツアーぐらい入ればいいな。」と思っていたら、いきなり何本も入ってきて、この夏は、日本に居るのは2〜3日で、精算が済むとすぐに次の添乗に出掛けるような状態で大忙しだったそうだ。

 「一社専属ではなく、リクエストがあれば何社も掛け持ちで添乗するんだよ。旅行会社毎に、事前打ち合わせや精算、現地のランドオペレーター(現地手配業者)や現地ガイドとの関わり方も今までの会社とは異なり、しばらく行ってないと現地の状況もすっかり変わっていて、1本目は浦島太郎状態で、疲れちゃったよ。『携帯から国際ローミングするのはどうするの?』とか尋ねられちゃって、時代が変わったよね。ま、でも、何本かやっているうちにようやくカンも戻ってきたみたい。この先、秋もヨーロッパのツアーが何本も決まっていて、この後、この前のツアーの精算した後、次のツアーの打合せに別の旅行会社に行くんだよ。」

 「でもさ、お客さんの考え方も以前と違って、旅先で積極的に楽しもうという感じがしないんだよね。何をしたいのかよくわからないんだよ。積極的に楽しもうという人たちって、添乗員付きのツアーには申込まずに自分たち個人で行っちゃうんだろうね。高齢化社会にもなるから、僕たちみたいな仕事はすぐには無くならないだろうけど、これからはそういう人がもっと増えるんだろうから、減る一方だよ。」

 「これまではさ、現地、実務を知らないプランニング担当者の作ったツアーの旅程通りに行くことの方が少なくて、トラブル、アクシデントはつきものだったし、ハプニングがあればそれも含めて、楽かったと思ってもらえるツアーをお客さまと一緒に作るのが僕らの仕事だと思っていやってきて、お客さんからの評価もそれなりに高かったんだけれどさ、今のお客さんって、少しでも旅程が変わるとクレームの嵐だし、ツアー後のアンケートの内容に一喜一憂する今の自分が情けないよ。」

 「お客さんはそれぞれの目的、思いを持って参加されたのであり、最初で最後の旅先かも知れないから、僕らはプロとして、その要望ができるだけ叶うようにお手伝いして、いい思い出を作って、持ち帰って頂こうと思ってやっているのに、今のお客さんは添乗員は旅程管理の仕事をすればよくて、多くを期待していないのかもしれないね。こちらの思いが伝わらないのは辛いけど、お客さまのニーズの変化に合わせて僕らも変化しないといけないんだよね。」と、神藤さん。

 「でも、わかってくれて、喜んでくれるお客さんもいるんでしょ?参加者の80%が満足したら、そのツアーは成功って言われてましたよね?」

 「そりゃ、そうだけど、こっちはサービス精神がお旺盛だからさ、コストの関係で添乗員一人当たりの参加者の人数も多くなったのに、できるだけ全員に喜んでもらおうとしちゃうんだよ。そんなのが面倒なお客さんもいるんだろうね。でさ、ツアー費がどんどん安くなって添乗員は全部派遣でしょ?日当も安くなって稼げないからさ、若い派遣添乗員はすぐ辞めちゃって、募集しても若い人は来ないんだって。でね、僕らみたいなロートルは生活がかかってるからさ、お客さんのわがままも我慢するしさ、一生懸命頑張るじゃない?結構、重宝がられてさ、僕よりも年寄りに見える人たちも沢山いるんだよ。」

 「現地ガイドと言えば、以前はその国に住んでいる日本人だったじゃない?今はほとんどがその国のネイティブなんだよ。日本語の上手い外国人が増えたよ。その国や現地のことをよく知ってるからさ、よっぽどいいよ。来週から行く、イギリスのコッツウォルズなんてさ、高額なんだけど、こっちでも有名な現地コーディネーターがアレンジしてるらしくて、これまで全然、行ったこともないし、聞いたこともないところに行くんだよ。これからはありきたりのツアーなんてダメだよ。企画力だよ。僕たちがさ、現地の情報を報告しても聴く耳持たない、現地に行ったこともない担当者がいい企画なんでできないよ。」

 「旅行業が生き残って行くためには、せっかく現地へ行って持ち帰ってくる僕たちの情報を上手く活用してくれたらいいのにと思うけど、効率化のために分業化が進んでいて、添乗業務の窓口を担当している人たちも派遣だからね、報告書やレポート読んだるだけでは伝わらないと思うよ。」

 「添乗の仕事がない時っていう条件で働いてきたのにさ、ツアーから帰国すると、介護の仕事の方も来てくれって待ってるの。しょうがないからさ、休みも取らないでそっちにも行ってるんだけどさ、いくら元気だと言ってもちょっとキツイよね。でも、この歳になって、仕事があるのは有難いことだし、老骨にムチ打って、やれるところまで頑張るよ。」と、神藤さん。

 これからもニーズは減少しても、添乗員を必要とするツアーは、当分の間は無くならないだろう。これから求められるのは質である。質を高めるのは人財。人財で勝負しない限り、価格競争するしか無く、安かろう悪かろうは何れ淘汰されるのである。

  今となっては、神藤さんのようなタイプの添乗員は古き良き時代の残党なのかもしれないが、ツアー参加者全員を笑顔にできる海外添乗のプロ中のプロである。そういうお客様のニーズも必ず残っているはずである。 

 これまで添乗員付きのツアーで満足できなかった皆さんは神藤さんを添乗員に指名して、一緒に旅をしてみて頂きたい。また、現在、介護施設で介護補助の仕事もしておられるので、介護を必要としておられる方々の旅行のお手伝いも可能とのことだ。

 今や、旅行・観光業は企業の看板でビジネスが成り立つ時代ではない。まさに「どこに行く」から「あの人を訪ねる旅」へ、そして、「人財こそが観光資源」の時代になりつつある。もちろん、「あの人と一緒に行く旅」もそのひとつであろう。

 国内観光において、現地発着ツアーの新しい動きが観光客の心をとらえ、注目を集めている。今回の神藤さんの話からも海外もそのような傾向にあるのだろう。早晩、現地ガイド、現地コーディネーター、添乗員が選ばれる時代になると思う。

  現状に疑問を感じ、今の仕事内容に満足していない添乗のプロフェッショナルの皆さんも、一緒に力を合わせて新しい添乗のビジネスモデルを創って頂きたい。

 コレゾ財団・賞の趣旨をご説明して、受賞をお願いしたところ、

 「何だかよくわからないけどさ、僕ができることならやるよ。」とのこと。


 COREZO(コレゾ)「古き良き時代の旅行屋の心意気、ホスピタリティの塊のような海外添乗のプロ中のプロ」である。

 ご本人は携帯電話のメールぐらいしか使っておられないので、ネットで「神藤 洋(しんどう ひろし)」と検索しても、ご本人の情報は何ひとつネット上にはない。

  

神藤 洋(しんどう ひろし)さんに関するお問い合わせは、

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

 

COREZO(コレゾ)賞 事務局 (最終取材2012.08.編集更新2012.11.02.文責 平野龍平)

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