北村太助さん

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COREZO(コレゾ)「定年Uターンの元タクシードライバーが取り組む自然農、郷土の棚田と豊かで美しい農村の再生」賞

北村 太助(きたむら たいすけ)さん

高知県本山町出身、在住

真美農山北村自然農園 農園主

http://www1.ocn.ne.jp/~oscar/

ジャンル

食・農業

環境・自然保護

地域振興

就農支援

ワーキングホリデー


経歴・実績

1960年 高知(本山町)を出て、大阪でタクシードライバーとして就職

1994年 定年退職を機に、帰農

                        農地30アール・山林約100本(50年生)・原野6アール、湧水の水元を要した土地を購入

                        現在、農地1.5ヘクタール・果樹園などを含む総面積約3ヘクタール(3町)の農園を営む

受賞者のご紹介

 2012年、ご縁があって、高知県本山町大石にある「真美農山北村自然農園」を訪れた。高知自動車道を大豊インターで降り、早明浦ダム方面に向かう。本山町のシャクナゲの名所、帰全山公園の辺りから山道に入り、だんだん道が険しくなって来た頃、懐かしくも美しい棚田の風景が広がった。「真美農山北村自然農園」の案内看板を見つけ、坂を上がると、北村 太助(きたむら たいすけ)さんのご自宅と思われる三角屋根の家が見えて来た。

 農作業等でお忙しく、お昼休みの間なら時間をお取り頂けるとのことで、お昼前に到着した。ご挨拶に伺うと、「午前中の残りの作業とお昼を済ませるので、しばらく農園内を自由に散策していて下さい。」とおっしゃったので、農園の敷地内の見晴らしの良い場所に建てられている東屋で持参した昼食を頂いた。

 途中、適当な昼食場所が見つからず、本山町にあった農協の直売所のような店舗に立ち寄ると、都会のコンビニで売っているような弁当ばかりで、地元らしい特色があるようなものはなく、閉口した。一番無難そうなおにぎりを買って来たのだが、素晴らしい棚田の景観のおかげで何倍も美味しく感じた。

 昼食後、田植え前の田んぼや畑を散策していたら、北村さんがこちらにやって来られたので、「棚田の景観が美しいところですね。」と声を掛けると、

 「ここは、奥からの谷川が合流した海抜450m程の山合いですが、空は広く、北に手入れの行き届いた『猯(まみ・タヌキまたはアナグマ)の山』と呼ばれている大石集落林があり、南に高知県でも有数の棚田が広がっています。私がここに帰農した時には、茅場になっていた棚田も多かったのですが、少しずつ復活させてきました。景観はもとより、生活水と稲や野菜を育てる水は湧き水で、自称、集落一の環境で営む百姓です。真美農山は、『猯(まみ)の山』をもじって(真に美しい山裾で農を営む)『真美農山自然農園』と付けました。花も大好きでね、花木や果樹、菜の花や草花もたくさん植えています。きれいでしょ?花が終わると果樹は実が楽しめますし、草花は堆肥にも利用しますよ。」と、にこやかにおっしゃった。


 そして、ご自宅の下方に建てられた3棟の丸太小屋をご案内下さった。ご自宅と同じく、購入した山林の木を切り出して建てたそうだ。夜、ご自宅の電気照明を消すと星と月明かりしか見えないので、「スター&ムーン・ガーデンロッジ」と名付けた。「wwoof japan(ウーフジャパン・主に環境を大事にする有機農業等を通じて、『食事』、『宿泊場所』、『ノウハウ』と『労働力』を交換する世界的な組織)」のホストもしておられて、ワーキング・ホリデーの受入れ施設としても利用しておられる。

 北村さんは高度成長、所得倍増政策の掛け声にのって、家族を連れて高知の本山町から出て、大阪でタクシードライバーとして勤め始めた。当時、タクシードライバーの稼ぎはかなり良かったそうだ。途中、労働運動に携わり、幾度かの修羅場も経験されたという。

 忙しく過ごしているうちに、「定年後の人生をどう生きていくのか」を考えざるを得ない年齢になった。

 北村さんが小学2年のとき戦争が始まり、お父様が食糧難を見越してか、田を40アール借りて小作農業を始められ、北村さんも中学を卒業するまで8年間農業を手伝われた。子供には大変な労働だったが、辛い中にも収穫の喜びを味わっていたことや、有吉佐和子著「複合汚染」他の環境問題や自然農に関する著書に出会っていたこともあり、「これからは、生まれ故郷に戻って、自然と優しく付き合いながら生きて行く百姓になる。」と決めた。



 大きな影響を受けた自然農法に関する「緑の哲学」の著者の福岡正信先生との出会いがあったり、自然農を提唱し、実践しておられる川口由一先生の合宿に参加して1年間学び、一緒に学んだ仲間たちと自然農を実践したり、定年後の準備を着々と進めた。頼んでおいた田舎の義理のお兄さんが田を2反(20アール)借りてくれて全てが整って、定年を迎えた。

 借りられた田んぼは12枚の棚田だった。集落での稲作りは、田役から始まる。田役とは、主に稲作に必要不可欠な水を管理、供給する農業水路の清掃で、年に一度、地域の農民が協力して行う作業だそうだ。まず、その田役に参加し、集落の人々にご挨拶をして、一日を共に仕事をすることで、集落の人々とのコミュニケーションを図った。

 集落の田んぼの取水は、高知県では有名な県立公園工石山の北側が水源で、途中、タンクへ取り込んで浄化し、飲料水として取水した残りを田んぼに供給されていて、天然のミネラルたっぷりの飲料水で育てるという何とも贅沢な稲作が始まった。

 「百姓するには機械はいらぬ。スコップ一丁、鍬一丁、 鎌の二本もあればよい。」と意気込んで、実際に、鎌二丁と鍬二丁で始めたが、見かねた農業の先輩たちが正しい作業の方法や便利な機械などを教えて下さった。刈払機(草や小径木を刈払うための機械)、バインダー(作物の刈り取りと結束を同時に行うことができる農業機器)、ハーベスター(刈り取ったからを取り除いてに仕上げる自走自脱式の脱穀機)等を購入し、人力では太刀打ちできない出費以上の働きぶりで、文明の利器にすっかり脱帽した。


 この年は、近年にない日照りが続き、水不足で早明浦ダムが干上がり、ダム湖底に沈んだ旧大川村役場が現れ、報道される程だったが、集落と北村さんの田んぼは、水の心配もなく、稲たちはすくすくと育った。

 自然農なので除草剤等は使わず、全て手作業の田んぼの草取りはたいへんな重労働だったが、その年は360㎏収穫できた。1年はゆうに食べられる量だ。精米し、炊きたてのご飯の湯気を鼻から何度も吸い込み、香りを味わい、口に運んで噛みしめると、この半年の労働が凝縮した喜びが込み上げて来た。自然農を営む百姓として、自分の労働に満足して生きて行く一歩を踏み出せた。


 確か、町会議員をしておられたり、町長選にも出馬されたのでは?

 「ええ、1994年にUターン定年帰農をし、体力のある中に農園を軌道に乗せようと頑張っていました。1997年に次期4年間の町長を決める町長選があり、3期務めた現職町長が無投票で再選されました。帰農して3年間、人口流出が進み、なんとなく元気のない町になっていることに気づいていたのですが、町の行政と政治に構造的な問題があることがわかり、自分が生まれ育った町が活気のない状況をなんとかしたいという気持ちを持つようになっていました。」



 「1999年7月、町議選挙があり、この年、この集落の区長をしていた私に、集落の有力な先輩から町議に出てみないかと誘われて、その気になり準備に取りかかったのが告示の10日前のこと。伸び放題の髪を後ろで束ね、口ひげも伸びたままでボスター用の写真をとり、『行政に新風を』と掲げ、慌ただしく選挙戦に入りました。結果、16人中ビリから2人目で当選し、議員3年目でのリコールによる解散出直し選挙では、3年間の議員としての実績が評価されるものと選挙活動らしきことはしなかったのですが、再選されました。選挙費用は6万円台で収まりました。」

 2005年には、2001年に初当選した強い支持基盤を持つ現職町長の無投票再選が濃厚になり、北村さんは無投票選挙では行政も町民の意識も何も変わらないと危機感を抱き、町長選に立候補した。選挙でお金を使うのはおかしいと最低限の費用で選挙戦を戦い、結果は、1,806対909票で破れ、次の2009年の町長選でも再び現職町長の無投票再選を阻止すべく立候補し、一騎打ちで破れた。立候補したことには何の悔いもなく、現在も町議活動を続ける北村さんにとっては町民に対する当然の責務と考えておられる。

 「定年後の農業をしての田舎暮らしには、農地取得制度の三反(30アール)もあれば広すぎるぐらいです。でも、あえて『棚田農園』や『棚田の再生』に取り組んでいるのは、子供の頃、父親に連れて来てもらった、この地のかつての美しい棚田の風景が瞼に焼き付いているからです。帰農した時には、既に多くの棚田が茅場になっていました。郷土が、農村が、特に棚田が寂れて行く現状に、『何とかせんといかん!』という思いからです。」

 「一農民、一農場主ができることと、政治、行政がやるべきことは自ずと違います。この地域も人口が減少しており、『美しい農村』・『豊かな農村』を再生し、次の世代に引き継ぐには、政治や行政主導の就農、移住希望者の受け入れ体制の整備や具体的な地域振興計画とその実行が必要です。この地域を元気にしたいという思いから町議を始めましたが、私を支持して下さる町民がいらっしゃる限り続けるつもりです。」


「私は帰農してから、『農村景観・風景の再生』、『棚田の復活』、『環境に優しい有機農業(自然農園作り)』を実践してきました。定年後の第二の人生で、田舎暮らし、農のある暮らしを希望する人々がここを訪れ、見学・体験されることで、迷いや不安を払拭して、Uターン・Iターンをして、夢と希望を実現して頂くお手伝いができれば、それこそが、私の残された人生で、私ができること、『使命』ではないかと思っています。」

 「そのために、ワーキング・ホリデーの体験・交流にご利用頂けるよう、この丸太小屋『スター&ムーン・ガーデンロッジ』を作りました。定年帰農者に限定しているわけではありません。有機農業に関心のある方々であれば、どなたでも歓迎します。」

この地の棚田は、戦国の世、四国を平定した長宗我部元親が土佐の桃源郷と絶賛した大石の棚田郷です。その棚田の中でも一番良い所(3ヘクタール)の内、一部植林され耕作放棄地となっていた湧水の水源を持つ棚田1.3アールと雑木林1ヘクタールを取得し、『センスオブワンダー』と名付けた里山農園にしようと着手していたのですが、本山町に譲りました。」

 「本山町は『日本で最も美しい村連合』に加盟しことを機に、農村景観・風景の再生と都市との交流の里『センスオブワンダーランド』づくりを開始し、第一段階として、私が譲った土地で、クラインガルテン(ドイツで盛んな小規模農地賃貸制度・滞在型市民農園)10戸の整備が始まっています。その『センスオブワンダーランド』に取り組んでいる場所は標高500メートル、四国の三大名峰石鎚山・剣山・白髪山の内、剣山連峰を東に、白髪山を北に眺められる素晴らしいところです。百聞は一見にしかずです。どうぞお訪ね下さい。」と、北村さん。


「真美農山北村自然農園」の周囲の棚田は再生が進み、稲作が行われ、実に素晴らしい景観、環境である。「スター&ムーン・ガーデンロッジ」にある風呂はステンレスの浴槽だが、「これこそが本当の露天風呂」とおっしゃる通り、周りに遮蔽物が一切ない。山里の自然に抱かれて、月明かりや満天の星の下で入ったらさぞ気持ちがいいだろう。訪問者のためにこんな素晴らしい施設まで用意されているのである。

 農業体験で滞在したことのある方の話では、北村さんは農作業に関して、あれこれ一切指示されないそうだ。自分がやりたいこと、興味があることを見つけ、尋ねると、簡潔かつ的確に指導して下さり、ご自分がその作業をされる場合は、実際に手本を見せて下さって、一緒に作業をするそうだ。農業でも、少し名前が売れると、講演活動に精を出す「センセ」方が多いらしいが、北村さんは、この自然農園で農業をしている自分の姿をご覧頂くのが一番だとおっしゃる。

 「是非、今度は泊まりがけで来て下さい。私は酒は飲みませんが、この辺は、春先には山菜、秋口にはきのこ類と山の幸も豊富ですよ。」

 コレゾ財団・賞の趣旨をご説明し、受賞のお願いをしたところ、二つ返事でご了解頂いた。

 COREZO(コレゾ)「定年Uターンの元タクシードライバーが取り組む自然農、郷土の棚田と豊かで美しい農村の再生」である。

 

北村 太助(きたむら たいすけ)さんに関するお問い合わせは

メールで、info@corezo.org まで

※本サイトに掲載している以外の受賞者の連絡先、住所他、個人情報や個人的なお問い合わせには、返答致しません。

 

COREZO(コレゾ)賞 事務局 (最終取材2012.09.編集更新2012.11.02.文責 平野龍平)

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